石川瑠華ちゃんのZINEの感想/過去を保存する癖について
石川瑠華ちゃんの文章を読んだ。
女優である彼女は、本が好きで、自身のZINE(小冊子)を作っている。
彼女の言葉はとても繊細で、粗かった。
正しい言葉にしようとするのが酷な程に入り組んでいて、けれどどうしても考えなければならないこと、逃げられないものを一つ一つ見つめていた。これをすることはとても時間がかかるし、とてつもなく苦くて孤独であることを私は知っている。そして、目を凝らさなければ気づかないようなことに、強く囚われてしまう種の人間がこの世界にあまり多くないことも知っている。
それが良いことなのかどうかと考えることがある。レンズの倍率が高い、茶漉しの目が粗いことは、本当に苦しく痛い。そして、それを自力で選別し吸収した時には少し嬉しい。きっと、良いことでも悪いことでもなく、ただそういった性質で在るというだけなのだと思う。
彼女は、過去が美しいと綴っていた。
過去というのは、自分の思い出のみを指しているのではないと思う。
私はよく貰い物をする。私の部屋は人から貰ったもので溢れている。貰ったと言っても、プレゼントして貰ったものもあれば、友人が長い間使っていた壊れかけの洗濯機、友人のお婆さんの趣味で部屋に飾っていたらしいジョン・コルトレーンの写真、出どころのわからない松明もある。それらを持っていることは少し幸せだ。ここに無ければ捨てられてしまっていたかもしれない、人の過去を保存しているような気持ちになる。
見栄えが良いものだけが残っていくのは悲しい。無くなってしまったものは、まるで価値が無かったと言われているようで悲しい。私にとって、過去は全て美しい。母がいたからそう思えているのだと思う。考えたくもないけれど、きっと母が居なくなってしまっても、母の保存癖と親馬鹿で異常に高い娘評価よって美しく残った私の過去は、私の中で消えない。自分がそう思えない時、他の誰かが自分の過去を美しいと思わせてくれることはこの上なく幸福なことで、私もまた、人の過去を残したいと思った。
追記
祖師ヶ谷大蔵の「不便な本屋」に行き、瑠華ちゃんが書いた文章と、本を買いました。初めて彼女と会った時、儚く慥かな意志がある目をしていて、無類の魅力に一気に惹かれたことを記憶しています。悶々と生活する近日、久しぶりに彼女の姿を見て、その時の感覚を思い出し、嬉しい気持ちになりました。
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