【ほぼ朝】支援する側とされる側という壁こそが社会の壁。

支援する側と支援される側という立場性がある以上、絶対に超えられない壁がそこには存在していて、それが社会に出る最初の障壁になっているとすれば、我々はいったい何をしようとしているんだろう?

支援という言葉自体に嫌悪感持つ人たちがいることは承知していて、その人たちの嫌悪の本質はここにこそあるのではないだろうかと思うんだけど、支援の必要な人はいるし、その人たちへの支援をしていることにぼくは疑いを持たない。

問題なのは、支援を必要としなくなって来ている人も支援機関に居なければならない現実だと思う。(パノラマはこれを解決するためにバイターンという仕組みがあるが、まだまだ十分ではない)

支援から 非支援へのグラデーションを同施設内で作り出すことは非常に難しく、あるルールがある人にはセーフで、ある人にはアウトを説明すること自体が暴力的になってしまうというジレンマがある。

これは、支援機関の果たせる役割と、社会の(暗黙の)受け入れ基準にはまだまだ隔たりがあり、支援の入口は用意しやすいが出口が作りにくいという問題が厳然としてあるということだと思う。

そのため、社会の手前くらいには出れそうな方が支援機関内にいるにも関わらず、その隔たりを埋めるプログラムを用意できずに支援の場に留めてしまう滞留を生み、社会に出れないフラストレーションが、再び振り出しに戻る的な後退を生んでしまう悪循環が発生してしまっているように思う。

具体的に言えば就労、もっとわかりやすく言えばお金を生み出す仕組みをビジネス的センスで作り上げることを、自分も含め非営利セクターの人々が苦手としているということと、社会はそれほど寛容ではないという点で、埋められない溝になっているように思う。

すべての人をフレームインの意味には、フレームをくちゃくちゃスルメのように噛んでふやかして枠を広げるという意味を込めているのは、この寛容性を生み出すことにパノラマは貢献しなければならないという使命を感じているからだ。

そして同時には、ぼくら側からも出口のドアの前に立つ人たちを、支援ではなく、パートナーや仲間として受け入れられるステージを用意していかなければならないのではないかと感じている。

なにごとも、手前があると先に進みやすいよね。

すべての人をフレームイン! 

特定非営利活動法人パノラマ 代表理事 石井正宏

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