見出し画像

「わたし」の生き方を問いかけてくれる歴史と出会えた訪問授業

みなさんこんにちは。昨年の11月からインターン6期生として活動している、みさきです。大学では、「マイノリティへの差別と政治の関係」というテーマを軸に授業を履修しています。趣味は近所を散歩することと読書です。

今回の記事では、2月8日に八王子にある東京純心女子高校で行われた訪問授業を振り返ります。

訪問授業が始まるまで
 この日の八王子はまだ雪が残っていて寒かったです。「幸の木」というヴィーガン料理のお店で野菜フライの定食をいただき、体に染み渡る優しい美味しさに癒されてから学校に向かいました。

 純心高校では昨年度、オーストリア出身でKokoroのボランティアに参加しているトリスタン・ダハさんと、平和について考える授業を毎週行っていました。この授業には5人の高校生が参加してくれました。私たちインターン生も、第二次世界大戦から続く様々なテーマを巡って一緒に問いをたてたり対話を重ねてきました。

 私はこの日が初めての参加でした。バスの道中では、どんな生徒さんたちに出会えるのかワクワクしていました。

 学校に到着すると先生方が温かく出迎えてくださいました。この日参加した3人の生徒さんたちはとても活発で、トリスタンさんと昼食をとりながら楽しげに交流しているのを見て、心が温かくなったことを覚えています。

 この日の授業は「ハンナのかばん」という映画を鑑賞し、そのあと感想を共有しました。

 「ハンナのかばん」は2009年にカナダとチェコの合作で作られた映画です。第二次大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所で殺されたハンナ・ブレイディという少女のかばんがKokoroに届きました。それを史子さんと子どもたちが調査する中で、ハンナの人生が明らかになっていくというドキュメンタリーです。

ハンナ・ブレイディ
Kokoroに届いたハンナのかばん


 この日は私達インターン生が進行を努めました。私は授業の初めの挨拶や司会の担当だったため、少し緊張していました。でも、生徒さんや一緒に来ていたインターン生のみんなが温かく見守ってくれたおかげで、リラックスして臨むことができました。

映画の感想
 映画を見ながらいろんなことを考えた気がします。

 この映画は、日本、チェコ、カナダの子どもたちがハンナの人生やホロコーストの歴史を語る形式をとって進んでいきます。多様な人種の子どもたちを主役にしているところに、人種差別に抵抗するという作り手の意思が込められているのかもしれないと思いました。

 アウシュヴィッツに送られる前のハンナが捕らえられていたテレジン強制収容所では、同じく捕えられていた大人が子どもたちに絵を教えていました。子どもたちは絵を描いていた間は、強制収容所にいる辛さを少しでも和らげることができたそうです。また、当時テレジンに捕らえられていた少年たちは「Vedem」(ヴェデム)という秘密の雑誌を発行していました。

 国家による圧倒的な暴力の中でも生き延びようとした子どもたちがいたこと、そのそばには、絵を教えることで子どもたちの辛さを和らげ、子どもたちを生かそうとした大人達がいたことを忘れてはいけないと思いました。

 女の子たちに絵を教えていた先生は写真から判断する限り女性であるらしいということにも気付かされました。テレジン収容所にはたくさんの芸術家が捕らえられていて、子どもたちに密かに授業をしていたということを聞いていましたが、その時に私は勝手に男性をイメージしてしまっていたようです。

ハンナに絵を教えていたフリードル・ディッカー先生



 ジェンダーに関して言うと、当時のアウシュヴィッツでは男性は強制労働、労働力として価値がないとみなされた女性と子どもはガス室に振り分けられたそうです。ジェンダーに基づく差別は戦争の被害のあり方にも影響を与えるということも重要な発見でした。

 そして、ハンナにはジョージさんという兄がいました。ジョージさんはアウシュヴィッツ強制収容所の過酷な環境を幸運にも生き延びたため、Kokoroで証言を聞くことができました。でも、史子さんが、ハンナのかばんが日本にあるので話を聞きたいという内容の手紙を送るまで、ジョージさんは戦時中の記憶を家族にも話すことができなかったそうです。

ハンナと兄・ジョージさんの子供時代



 ジョージさんは、ハンナのかばんが日本にあることを知って当初はショックを受けました。日本は第二次世界大戦でナチ・ドイツと同盟を組んだ加害国だからです。でも、その後、東京の子どもたちがハンナのことや平和のことに関心を持ち語り継ごうとしていることを知って心を開きました。

 この点に関しては、映画の冒頭に登場した広島の被爆者の方の証言が印象的でした。自分たちは被害者であると同時に加害者でもある。それに対して、ホロコーストで殺されたユダヤ人の子どもたちは皆、一方的に殺されたのだと。日本政府が戦時中の加害行為を認めまいとする見苦しい動きがずっとある中で、被爆者の立場からこのような証言をするのは勇気のいることなのではないかと思いました。

 しかし私は、この被爆者の方の証言に、勇気づけられる思いもありました。私たちは、国の考えていることをそのまま内面化しなくてはいけないわけではないのです。たとえ国が、かつて行った植民地支配や性暴力などの加害行為を認めまいとしていても、私たち市民の手で、その加害行為を直視し、検証していくことは可能なのです。

 ところで、映画の最後に言及があるのですが、本物のハンナのかばんはネオナチ勢力による放火で焼かれてしまったそうです。悪意を持ってホロコーストの歴史を消そうとする人が今なおいることにはショックを受けました。でも、ハンナのかばんのレプリカを作った博物館の人がいたからハンナのかばんは史子さんの元に届いて、私たちは今その歴史を知ること、語り継ぐことができます。それは希望だと思うのです。

感想共有
 総じて、この映画は、ホロコーストの歴史や、歴史を語り継ぐということについて様々な角度から考えさせてくれる作品でした。見終わった後の感想共有では、「もし自分がハンナやジョージさんと同じ立場だったら」と考えてる人が多く、その点が印象的でした。

 戦争というとどうしても「国家」対「国家」の話になりがちです。しかしこの映画は、当時を生きていた個人に焦点を当てて、それを語り継ぐ現代の私たちの視点で描かれています。だから共感しやすく、自分に引き寄せて考えやすいのかもしれません。

余談:帰りの電車の中で
 私は帰りの電車の中でこの映画のことを思い出しながら、ふと、差別を受けている人たちを受動的な存在として語ることの怖さについて考えていました。
 
 ホロコーストで殺されたユダヤ人の子どもたちは紛れもなく被害者ですが、ただ受け身で殺されるままになっていたわけではありません。絵を描いたり、雑誌を発行したりして、なんとか生き延びようとしていた自我を持つ人間たちなのです。その抵抗の歴史を忘れたくないと思いました。

 また、「アフガン女性はタリバンによる性差別に怯える無力な存在」というイメージが米国によるアフガニスタン侵攻を引き起こしたように、差別を受けている人たちを無力だと思い込むことは、時に戦争を招きかねません。実際には、自ら地下組織を作りタリバンと戦ったり、密かに学校を作り女子教育を行ったりしたアフガン女性がいるのに、その存在を無視して米国が介入したのです。※

 このようなことを考えているうちに、ASD(自閉スペクトラム症)という発達障害の当事者でもある私は、第二次大戦中に生きていた障害者の事を考えました。ナチ・ドイツは障害者を迫害しましたが、たとえ迫害に晒されても、自分の意思を持って生き延びようとした障害当事者が、きっといたに違いない。なんとしても見つけ出してやる!

 私たちインターン6期生が現在企画している問い作りワークショップ「わたしたちは生きのびるために ~ホロコーストを生きた障害当事者たち~」は、私のそんな気持ちから生まれました。

事前知識がなくても参加できますので、
・ホロコーストの歴史について興味のある方
・障害当事者やマイノリティについて考えてみたい方
・問いづくりや対話に興味がある方
ぜひお気軽に参加してみてください!

※清末愛砂. (2014). 「対テロ」 戦争と女性の均質化――アフガニスタンにみる< 女性解放> という陥穽 (Doctoral dissertation, Muroran Institute of Technology).