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2014年 田島良昭氏講演会「困窮・孤立者支援と地域福祉を考える」

抱樸(当時は「北九州ホームレス支援機構」)は2013年9月、地域の支援拠点を目指し「抱樸館北九州」を開所しました。際して田島良昭様(南高愛隣会理事/全国地域生活定着支援センター協議会 代表理事)をお招きし、「困窮・孤立者支援と地域福祉を考える―抱樸館北九州の挑戦―」と題した地域福祉について考える講演会を開催しました。この度の田島様のご逝去にあたり、哀悼の意と共に講演要旨を公開いたします。

20140111HBKシンポジウム


田島です。北九州お久しぶり。久しぶりの方はこれ、ヒゲ、何?って言われますね。退任にあたって、「辞める」ということを(知的障害のある)皆に解ってもらうのが難しかったので、真っ白の髭をたくわえたんです。
「こがん歳とったけ、もう面倒みれんとよ~」と言って、触ってもらうことでしょうがないなと解ってもらったの(笑)

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愛隣会の活動しててね、世の中豊かになったけど、人と人が支え合うことが少なくなったかなぁと思う。
お年寄りに対する福祉は充実はしている。700名を超える職員がいる。しかし長くやってると失って来たものもある。支援機構さんの活動を見ると、無くしたものが沢山あるな、という気持ちになります。

昨日 、炊き出しに参加した時、感銘を受けたのは、かつてホームレスで苦労をされた方がたくさん来ておられて、とてもかいがいしく立ち振る舞っておられること。中に体調悪そうな方がいて「無理されない方がいいんじゃ」と言ったら「私はこれが生き甲斐なんです」と。「何か出来ることがないかと楽しみに来ている」と言うのです。

奥田先生のところでの新年会に参加したこともあった。(野宿の経験のある)世話人さんが20人くらいいらして。「助けてもらったので、誰かの役に立ちたい、恩返ししたい」と口々に言われる。ちょっと恐そうな見かけの方もいらっしゃるが、そう話される時の目の、なんとやさしいこと。
「守ってやらなきゃ」と長年やっていると、そういうことを忘れてしまう。
ご本人さん達のがご自分の体験から、どういう手伝いをしたらいいか、よーく解ってらっしゃる。

抱樸館に着いた時ね、旗が立ってて、ああ賑やかなこと、と思ったら反対運動の旗だった。私も施設を作る時、大反対されました。40年前のこと。
「障害児が近くに住むのは絶対反対」と、町議会で決まった。
「障害児は危ない、汚い、気持ち悪い」とはっきり言われた。
私は一軒一軒、3年8ヵ月這いずり回って説いて回った。
やっと1割くらいが協力的になってくれましたが、あとは全然。
ある時、切れました(笑)
「なんで説得せんと支援を始められんのか!」と、勝手にやるぞと思った。
「反対するならもっと声高らかに反対しろ、こっちはやる。」と、50人の施設を建てた。40年のうち、一番つらい時期でした。

それが、さあ施設を始めてからの36年は、なんて楽しい!
こんな嬉しい日々は他にない。
こんないい人たちと出会えて、楽しい仕事でお給料までもらって!
出会った人たちが私の師匠だった。
だんだん私が直接関わる人は減っていって、スタッフのが大変だったでしょうが、わたし、一度もキツいな嫌だなと思ったことはありません。

現場の工夫は利用者さんたちが、こうしたらいい、こんなだと幸せ、と意見を出してくれるのが一番よいんです。

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今から10年くらい前、仙台に住んでた時、県の社協で妙な話を聞きました。
刑務所の中に障害をもった人がゴロゴロ居ると。山本譲司さん(※「菅直人の秘書」を看板に立候補した元衆議院議員。政治資金規正法違反と詐欺罪で懲役1年6ヶ月。栃木県黒羽刑務所に服役後、2004年8月に書き下ろした『獄窓記』が新潮ドキュメント賞を受賞。)から聞いたと。
信じられなくて彼を訪ねて行きました。
「俺がお世話係をしとったけん間違いない」と。
何も分からない歩けないようなお年寄りが、山ほどおるよと。

そんなことが現実だとしたら・・・福祉をやってる者としては、とってもとっても恥ずかしいことなんです。
それで刑務所に見学を申し入れたらダメだという。
どうしたら入れてもらえるんだと聴くと「実刑判決受けたらね」といわれて(笑)
障害をもつお年寄りは何人いるんだと全国の刑務所に聞いたら「居ません」というんです。「一人もどこにも居ません」と。

だから随分「それが本当のことか」分からなかった。
ついに手続きを進めて見学に行ったら、ほんとうにゴロゴロいました!

では刑務所から出てくる時に支援が必要じゃないかと、定着支援センターを全国につくったわけです。
九州じゃ4県の県議が反対しました。県の議員は言います。
「福祉は善良なまともな人間しか使っちゃいかん。なぜなら税金だから。」
福岡県も反対で、なかなか建てられなかった。
議員に会いに行って「刑務所の運営にいくらかかってるか知ってますか?」って聴いたら、全然知らない様子。
「ひとりあたり平均286万円かかってる、税金ですよ。」
医療が必要だと更に15万くらい。一人に300万円かかってるんです。
生活保護で暮らしてご覧なさい、半分で済みますよ。
裁判費用だって1年1000万くらい(計2年ほど)経費がかかる。
生活保護の倍をかけて刑務所に暮らして、誰が幸せですか?
そして出所しても、以前の犯罪を犯さざるを得ない環境に戻ったら、また繰り返しです。
認知症のお年寄りが生きていくために万引きをする。累犯だとすぐ入れられる。認知症で買い物の支払いを忘れて、あらあら忘れてますよと笑っていられるのは少しの間ですよ。家族もお店も警察に「捕まえて下さい、刑務所にいれて下さい」と伏し拝むんです。
なんてひどい世の中だ。

北九州からも女性が何人も来てます。彼女たちは自分が刑務所に居ることを解っていない。会いに行くと家族の写真を自慢する。立派に子育てをしてきたこの母親が、なぜ、なぜ刑務所に居るのか!

(この憤りの気持ちは)北九州の炊き出しでも感じました。
食事は寒風吹き荒ぶ中。場所の提供は無いのか?! なんて冷たい!
そんな社会ってなんなんだ。

地域の皆さんは明日は我が身と思ってない。
無関心な人、反対してる人の中に、10年後「当事者」になってる人は必ずいる。長崎で施設建設を反対した町長さんが、その後認知症で、道でおしっこを漏らして小学生に石を投げられている。他人事ではないのです。

抱樸館北九州の周りに立つ反対の旗を、じっと見てみて下さい。明日は我が身であることが滲み出てくる。

刑務所に入ってる方も、福祉がもっと支える仕組みを作っていけば、犯罪を繰り返すことは防げる。実際いま3300から2500人になってます。
でも出所して行き場がなくホームレスになっている人も沢山いる。

最初に私が保護司として関わったのは小倉の女性でした。行き場がなくてホームレスをしてました。ある時「これもう要らないみたいだからあげる」と。見れば、刃渡りの長いナイフです。
路上生活してるといつ襲われるか怖いわけなのです。護身用です。
「刑務所に入るとホッとするんです。ここは安全だと。」彼女は8回の入所をしてました。
私たちと暮らすようになって、「家族を探さないか?」と言っても
ずっと「あたしは子供には会えるような人間じゃないんです」といい続けて来た。が、ガンになられてホスピスに入る時、初めて「子どもに会いたい・・・」と言われた。
もう、スタッフ総動員で一生懸命探しましたよ!
やがて3番目の娘だけ見つかりました。息子たちはなかなか見つからない。
ある日、連絡が入り、なんとホスピスのすぐ近くに住んでた。
すぐに来てもらいました。家族は28年ぶりに会えたのです。
・・・彼女は、翌日亡くなりました。
・・・〈終わり良ければすべてよし!〉・・・だとは思います。がしかし・・・。
8年の付き合いのなかで、彼女の人柄を見てきました。
どうしてこの人が刑務所に・・・・!と思います。
ちょっとだけ知的の障害があるだけで・・・。

お時間が来たようです。
来場の皆様には、支援機構さんの活動を自分の学びの場と思って、是非関わって下さればと願います。

   《2014年1月11日(土)13時~15時  毎日西部会館9階大ホール》

いただきましたサポートはNPO法人抱樸の活動資金にさせていただきます。