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特別連載『あんたもわしも おんなじいのち』「3人対談。プロフェッショナルズ。家から扇風機が5年連続無くなる編」by 山塚リキマル



「3人対談。プロフェッショナルズ。家から扇風機が5年連続無くなる編」
 クラファン最終日となる本日は、奥田伴子さん、森松秀美さん、高田敏子さんをゲストに、強烈すぎるエピソードが矢継ぎ早に繰り出す御三方にただただ唖然、そしてリスペクト。抱樸の知られざる歴史の裏側をぜひご覧ください!

左から ひでみ、ともこ、としこ

 ——今回は、抱樸の活動の初期から関わる森松秀美さん、高田敏子さん、奥田伴子さん、に、いろいろ思い出話などをお伺いできたらと思います。それぞれ、みなさん森松長生(専務理事)、谷本仰(副理事長)、奥田知志(理事長)、というパートナーと共に抱樸の活動を歩んでこられて、みなさんから見た抱樸の歴史を聞いてみたいなというのが今回の主旨です。

高田敏子(以下・としこ)「もう昔のことは忘れたし、何か話すことあるかな」

森松秀実(以下・ひでみ)「2003年に森松(長生)が専従職員をやり始めた頃かな、家の中から扇風機がときどきなくなったの。合計五台ぐらい。扇風機だけじゃなくて、ファンヒーターの買ったばっかりのやつが、次の年に出そうとしたらもうなくなるとかね。挙句の果てにはテレビのアンテナもなくなって」

 ——あのう、すみません、初っ端からもうヤバすぎるんですが(笑)。

ひでみ「テレビが壊れたと思って、慌てて電器屋に電話しようとしたら、森松が、“ちょっとアンテナ貸したから”って言ってて。アンテナって貸すものなのかな〜、って思ったり」

 ——いや、アンテナは基本あんまり貸すものじゃないと思います、扇風機もですけど(笑)。

ひでみ「扇風機5台だよ。5台ってすごくない? 毎年1台なくなるんだから。まあ、それを支えるっていうのが私の仕事でもあるとも思ってたけど、黙ってされるのは嫌なんよ。私がいないとき、家に路上生活者の人を連れてきてね、腰まで伸びた髪を切ってお風呂に入れてあげて、そして汚れた服を全部脱がせて、自分の洋服を貸して。で、その一部始終を見てる子供たちに“絶対お母さんに言うなよ”っちゅうたりね。それを10年とか15年後ぐらいに子供から初めて聞くみたいな」

 ——驚愕の事実が(笑)。当時はぜんぜん気づかなかったんですか?


ひでみ「いや、“変だな”っていうのはあるよ。なんかゴミ袋がぐちゃぐちゃになってるとかさ。引き出しの中に綺麗に畳んで入れておいたゴミ袋がぐちゃぐちゃになってるから、“誰かゴミ袋使ったんかな?”とか思ってたんだけど、あとで話聞いて“ああ、汚れた服をゴミ袋に入れて捨てたんだな”みたいな」

 ——ほかにも何か、モノがなくなったエピソードとかありますか?

ひでみ「お金とかもたぶん貸しとったと思うよ。“ありがとうございますこれ今月分です!”とかいってお金受け取ったことあるもん。扇風機とアンテナだけじゃないんやねー、みたいな(笑)」

 ——ヤバすぎる(笑)。北九州に引っ越してきたときの思い出とかありますか?

としこ「引っ越してきてすぐ子供生まれてさ、それからずっと子供抱えての生活だからね。子供おんぶして炊き出し行っておにぎり握っていたのは覚えてる」


ひでみ「私、久留米だったんだけど、久留米の炊き出しは毎週教会でおにぎり握ってたの。パトロールには行ってなかったけど、炊き出しのお弁当作りはしてたね……あ、思い出した。としこさんが肺血腫かなんかになって、もう死ぬか生きるかってなって、病院に行ったことがある。それが私が北九州に来てすぐぐらいだったのよ。そのとき奥田家と一緒に病院行ったの覚えてる。」

 ——本当に生きてたよかったですね。


としこ「他には、突入集会っていうのがあった。“これから越冬期ですよ、みんな頑張りましょう!”みたいな。冬に突入する集会があって、そういうのは出て、あとはできることだけやってた感じで」

 ——パートナーから聞いた話で印象的なものとかありますか?

としこ「“この人大丈夫かな?”って思ったときがあった。ホームレスから立ち直っていこうとしてた人が、自分で”サヨナラ”ってしてしまったことがあって。そんなふうに谷本が担当した人が、続けてふたり亡くなったの。すごい落ち込んでる谷本に“世の中色々あるよね”なんていって慰めたり、そういうことがありました。あともう、毎回毎回言ってることが違って、あることないこと喋るおいちゃんがいるとかね。最初は真面目にちゃんと聞いてたんだけど、だんだん”うん?”ってなっていくみたいな」

 ——いわゆる路上生活者支援とかって、当時は今よりもっと敷居が高かったんじゃないかって思ったりするんですが、いかがでしたか?

としこ「もう昔から私たちにとって特別なことじゃなくて、生活の中にそれが入り込んでるからさ」

ひでみ「普通にあるからね。たとえばさ、子どもがちっちゃい頃に、小倉の街とかにみんなで出るやん。そうすると、絶対子どもが“お父さんのお友達がいるよ”っちゅうんよね。“お友達があそこにもここにもいる!”って(笑)。」


としこ「うんうん(笑)」

ひでみ「で、ちっちゃいときから、炊き出しとかそういうの見てるから。私、次男坊が東京に12、3年住んでてね、前の仕事でときどき東京に出張に行くと、一緒にご飯食べたり遊びに行ったりしてたんだけど、そのときね、ホームレスの人にお弁当買って渡したりするんよ。私それ見て、ちょっとビックリして。“ときどきそういうことしてるの?”って聞いたら、“なんか親父もそんなことしよったじゃん。俺、自分が金あったら弁当買って渡してる”とかいってて。ちっちゃいときから見てることってね、影響あるよね、やっぱり」

 ——すごくいい話。しかし、やっぱり大変は大変ですよね。いい加減にしろ!とか、もうやめたい、転職してほしい!とかなかったですか?

ひでみ「これしょうがないんやけど、夜中に電話が鳴るっていうのが結構続いた時期があって。しかも3時とか4時よ。それは仕方がないなってわかっとっても、寝不足で会社行くのつらかったときはあったね一時期」

 ——突然呼び出されるとか。

としこ「ここには書けないような事件が起こったりとか、喧嘩の仲裁とか、そういうのもあったね。昔はみんなもっと元気だったから」

 ——思い出がたくさんありますね。

ひでみ「あ、Aさんっていう人はすごかった。Aさんが初めて教会に来たとき、本当に入ってきただけで教会全体が息が詰まるような匂いになってね。教会の人が、ファブリーズをかけさせてもらったんだけど、最終的に1本使い切ったという」

 ——ひとりで1本ですか。

奥田伴子(以下・ともこ)「Aさんは朝早くからきて、日曜なら奥田さんいるぞってなって毎週くるんですよね。だから毎回お風呂に入れて、お父さんの下着と洋服一式に着替えさせてから教会の中に入れてあげるっていう。そしたらお父さんのパンツがなくなり、シャツがなくなり」


ひでみ「服はなくなるね、確実に」

ともこ「で、Aさん気がついたら私のジャンバー着てた(笑)。私のお気に入りのベンチコートを。それでちょっと、あんまりにもかわいそうだってなって、近くのお風呂屋さんの券をあげるってことになるんだけど、その風呂屋に行く前に風呂に入れるんですよ。風呂に行ける状態にするために風呂に入れるという(笑)」

 ——服買いに行く服がない、みたいな(笑)。

ともこ「うちでお風呂に入ってもらってからお風呂券を渡すんだけど、また一週間後に会ったら、もうすごい強烈なんですよ、匂いが。しばらくしてわかったんだけど、原因は拾いタバコ。ポケットの中のシケモクが大量に発酵?腐敗?していて、それですごい匂いがしてたっていう。Aさんは抱樸館に入るまえ、一旦ヘルパーさんもついてアパートに入ったんですけども。Aさんは1個じゃなくて、全てのものが3つほしいですよ。たとえば炊飯器だったら、3個欲しいっていうんですよ。時計が欲しいって言ったら3つ欲しい」

 ——3にこだわるんですね。

ともこ「だから洗濯機も3つあったりね。そのあと抱樸館に入られるんだけども、Aさんがお風呂の予約表みたいなやつに、一番に名前書いて、一番にお風呂入ってたのはびっくりした。Aさんからシャンプーの香りがする!っていうのは感動しましたね。関わってから10年以上の経って今はAさんいい匂いがします」

 ——ほかに印象に残ってる方とかいらっしゃいますか?

ひでみ「Mさんっていう、ワンちゃんとずっと一緒に暮らしてた方がいて。犬と離れたくなくて、自立するのを拒んでた人がいたんですよね」

ともこ「あの頃、犬飼ってた人結構いたよね。犬がいるからセンター入れないっていう人は結構いた。だからその犬をうちでお預かりするんですけれども、最初は“犬もですか!?”みたいな(笑)。でも、だんだんどの犬も愛着が湧いてね、子供たちは川で一緒に泳いだり、散歩したあと綺麗に洗ってベッドで一緒に寝てみたり、そんなことしてました」

としこ「あと炊き出しで、うちの娘が噛まれたりしてね。犬が子どもを噛んだって聞いて、炊き出しの大事件だと思ったら、”ああうちの娘でよかった”と思ったりしたこと覚えてる」

 ——よくはないでしょう(笑)


ともこ「2000年にNPO発足したとき覚えてます? 発足式をするにあたって、偉い人が挨拶するだけじゃなくってホームレスの人もいっぱい呼ぼうってなってね」

としこ「お惣菜を色々買ってきてお皿に並べたんだけど、そしたらそれをみんな話も聞かないで、手づかみでポケットにドンドン入れていく(笑)。それで会場の料理が足りなくなって、何回も買いに走ったりね」

ともこ「あの年の市役所交渉のときは“今日はもう捕まるかもしれない。今日は帰れない”っていってて。炊き出しの会場を追い出されて、どこで炊き出しやればいいんだ、ってぶつけたんですよね。戦うぞ、市役所の前でやってやる、市役所で炊き出しするぞって。それが大事になって、警察もいっぱい来た。さいわい逮捕とかは免れたんですけど。」

としこ「今日は怪しいぞって話は聞いてたかな」

ともこ「そのとき、ちょっと前に自立されてた浦野さんっていう人が、“あなたたちは何をしてくれたんだ、あなたたちは僕たちの荷物を捨てただけじゃないか、僕たちを救ってご飯と住む場所をくれたのはこの人たちだ”って言ってくれたんですよ。その浦野さんには、子どもたちもお世話になって、娘の幼稚園の送り迎えも浦野さんがやってくれました。」

 ——では最後に、抱樸の活動をやっててよかったなって思うことは何ですか?

としこ「さっきも言った通り、支援するっていうことがわりと普通に生活の中にあるから。いろいろ大変なこともあるけど、楽しくて笑わせられるようなこともあるし……だから、普通に、そういうことが日常にあってよかったなって思います」

ひでみ「もう、何があっても驚かないなっていう(笑)。絶対出会わない人とか、絶対こんなこと起きんよねみたいな出来事がいっぱいあったから。森松は“仕方ないんじゃない”っていうのが口癖なんですよ。最終的に、仕方ないよね、っていう気持ちになれるのはここでの出会いがあったからだなって。何か目的が達成できなかったり、プロセスがうまく行かなくてもしょうがないんじゃないかって思える」

ともこ「苦しいことも楽しいことも、人の何十倍ももしかしたら何百倍も味わわせていただいているというか。本当に日々日々事件だし、逆に毎日事件だからやってられるんだけど。“なんでこんなに頑張れるんですか”とかって言われるけど、なんかもうアドレナリンしかないの。次々起こる事件に向かい続けるみたいな、そんな30何年。今回ね、“希望のまち”ってネーミングを聞いたとき、私はやられたって思ったんですよ。希望のまちって素敵じゃないですか。それを作るためにはどうしたらいいんだろうって途方に暮れたりしたけど、でもできたら素敵かもしれないって」

 ——希望のまちができることが待ち遠しいですね

ひでみ「ある日ね、森松に車に乗せられて、希望のまちの建設予定地に連れてかれたんですよ。で、“ここ買った”っていうから“は?”って。ここ広いやろ、すごいやろ、みたいなドヤ顔で。自分で買ったんでもないのに、めっちゃ自慢げに連れて行かれたのを今思い出した(笑)」

としこ「私も(笑)」

ともこ「私も連れていかれた(笑)」
(12月11日 収録)


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