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「経済×テクノロジー×文化」を越境する人材になれ——編集思考#3

イノベーション、新規事業開発、チームづくり、個人のキャリア構築… あらゆるシーンで武器となる、これからの時代を生きるビジネスパーソン必須の思考法は「編集」から学べる。『編集思考』の一部を、特別に公開します。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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第1章 │ 「縦割り」の時代から「横串」の時代へ

—「経済×テクノロジー×文化」を越境する人材になれ


シリコンバレーは文化的につまらない


落合さんのように「経済×テクノロジー×文化」のトライアングルを編集することこそが、これからの時代に個人が躍動するカギであり、日本を変えるカギになる。これが、私の結論です。

ただ、今はこの3つのバランスが崩れています。経済に寄りすぎる人、テクノロジーに寄りすぎる人、文化に寄りすぎる人ばかりで、トライアングルを編集する人が枯渇しているがゆえに、さまざまな軋みが生じています。その解決こそが、希望あふれる未来へとつながるのです。
詳しく説明していきましょう。

テクノロジーについて語る人は、大体、ユートピア的なテック至上主義に染まりがちです。「AIで人間がいらなくなる」「テクノロジーがあれば働かなくてよくなる」「テクノロジーが貧困問題を解決する」といった意見は、未来予測としてはインパクトがあるのですが、人間理解に欠けており、どこかのっぺりしています。

私自身、28~30歳の2年間、スタンフォード大学の大学院に留学し、テクノロジーの聖地であるシリコンバレーの風を浴びました。スタンフォードという場所は、雄大な自然に恵まれて、天気もよく、家も広く、快適至極。そこに集う学生たちは、頭がいいだけでなく、オープンマインドでいい人ばかりでした。
しかし、2年の日々を過ごして痛感したのは、「シリコンバレーは文化的につまらない」ということです。休日には、アウトドアやパーティーやDVD鑑賞ぐらいしかやることがありません。私は3ヶ月ぐらいで東京生活が恋しくなりました。

「このスタンフォードの環境で生活していると、経済とテクノロジーの玄人にはなれるけど、文化からは縁遠くなるな」と感じたのを鮮明に覚えています。歴史が浅く、しがらみが緩いのがシリコンバレーの強みですが、それは、裏を返せば「文化的な蓄積が浅い」ということです。
日本のスタートアップ業界もシリコンバレーと似たところがあります。テクノロジーをテコにビジネスを拡張し、稼ぐのはそこそこうまい。しかし、文化的な奥行きや、思想的な深さに乏しいため、人間や社会を本当に豊かにするような事業がなかなか生まれません。

ソーシャルゲームがその典型例でしょう。ビジネスやテクノロジーについて抜群の切れ味を見せる論客や起業家も、文化や思想やアートには疎いことが多い。「経済×テクノロジー」の2つはどうにか回せても、そこに文化が入ってきません。そうした底の浅さゆえ、日本のスタートアップは飽きられやすいのです。
翻って、日本の伝統的な企業は、資金も豊富で、長い歴史から生まれる文化もふんだんに蓄えています(それに縛られすぎている面もありますが)。「経済×文化」のかけ合わせは、ある程度できているのですが、テクノロジーへの適応があまりにも遅すぎるため、世界の競争から大きく取り残されてしまっています。
テクノロジー至上主義はいただけませんが、テクノロジー懐疑主義が強すぎるのも考え物です。経済と文化の蓄積を、テクノロジーをテコにしてフル活用すればいいのですが、宝の持ち腐れになってしまっています。

ならば文化を扱う企業やアーティストはどうかと言うと、経済音痴、テック音痴がはびこっている状況です。日本のアーティストの多くは経済やテクノロジーと縁遠い生活をしています。

アーティストにとってのビジネスセンス、マネジメントセンスの重要性を一貫して訴えているのが、ポップアーティストの村上隆さんです。
村上さんが世界を舞台に活躍できているのは、作品の力だけではありません。ビジネスマインドを意識的に磨いて、商売とアートの距離を近づけた点に彼のすごさがあります。

2012年、東洋経済オンラインの編集長になったばかりの頃、村上さんにインタビューしたときの言葉が今も脳裏にこびりついています。

「スティーブ・ジョブズの評価点は、資本主義というものを〈ものづくり〉に引きずりこんだことです。日本は、〈ものづくり〉はすばらしいのに、資本主義に負けてしまっているわけです。だから、経済、資本主義が何かということを、もっと学校が徹底して教えるべきですよ。結局、商いをもっとリスペクトするような社会構造を作り、『商いは文化だ』という認識を浸透させないと、日本の文化は成長しません」

村上さんは、文化と経済システムがうまくかみ合った例として、『週刊少年ジャンプ』が切り開いたマンガビジネスのシステムを挙げます。

「マンガだけでなく、テレビや映画といったマルチメディアで稼ぐ収益構造を前提として、マンガや人材育成に投資していくシステムを作り上げた。1つの完璧なクリエイティブエコシステムですよね。金儲けをして、儲けた資金で未来を創る。そういうエコシステムこそ評価できると思います」

村上さんの警鐘もむなしく、日本の文化産業は未熟なままです。政府肝いりの「クールジャパン機構」は、過去5年で44億円の損失を計上。2018年6月にはCEOが更迭されて新体制へと移行しました。


日本が変われないのはメディアが変わらないから

経済の担い手である民間側も振るいません。低迷の責を負うのは、文化の担い手たる出版社、新聞社、テレビ局などのメディアです。このセクターほど、経済音痴、テクノロジー音痴なところは珍しい。私は日本の3大ガラパゴス分野は、政治、教育、メディアだとつねづね主張していますが、メディアの変化の遅さが、日本全体の変化のスピードを遅らせてしまっています。
なまじっか日本のマスメディアは影響力が大きいだけに、その負の作用が増幅しています。メディアは、変われない日本そのものなのです。

世界のメディア業界は過去20年で激変しました。その起爆剤となったのは、デジタル化、モバイル化、ソーシャル化、グローバル化の4つの変化です。メディアビッグバン時代の生き残りをかけて、世界のメディアは血みどろの自己改革に挑みました。そうせざるを得ないほどの、猛烈なプレッシャーに襲われたからです。
たとえば、米国のニューヨークタイムズは、過去10年で「紙の新聞」の会社から、「デジタルメディア」へと完全に生まれ変わりました。というより、生まれ変わらざるを得なかった。
リーマンショック後に米国の新聞広告マーケットは3分の1以下にまで急落、1950年の水準にまで市場が落ち込みました(図表1-3)。

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そこで構造改革を断行すべく、2012年にBBC会長としてデジタル改革を推進した、マーク・トンプソン氏をCEOとして招聘。

紙至上主義だった新聞ビジネスを、スマホ、パソコン、タブレットなどクロスプラットフォームへと改革すべく、テクノロジーエリートを雇い、デジタル企業への脱皮を図りました。同時に、記者の数を増やすことによって、コンテンツの充実を進めていきます。とくに、トランプ報道にはライバルであるワシントンポストの倍以上の人員を割き、独走状態を築きました。
その結果、ニューヨークタイムズのデジタル有料会員は、2019年3月末時点で過去最高の350万人に到達。これはニュースメディアの中で世界一です。紙と合計した購読者は450万に上り、こちらも過去最高を記録しました。
こうした成果により、ニューヨークタイムズは“隠れたユニコーン”(もしニューヨークタイムズがスタートアップ企業だったら、時価総額1000億円は軽く超すぐらいの評価を得られるだろうという意味)と呼ばれるまでにデジタルの世界で注目を浴びるようになっています。
世界のメディアが自己革新に励んだ過去10年、日本は完全に出遅れました。新聞社、出版社、テレビ局は、小さい改善はあっても、大きなシステムは何も生み出せませんでした。文化に経済とテクノロジーをかけ合わせることができなかったために、文化そのものが衰亡しているのです。


ウォール街×シリコンバレー×ハリウッドを抱える米国の強さ

落合さんのような人材は稀有ですが、せめて「経済×テクノロジー×文化」を高次に融合する人間がもっとたくさんいれば、日本はここまでの惨状には陥らなかったでしょう。
さまざまな問題を抱えているとはいえ、米国がすごいのは、経済(金融)の中心である「ウォール街」、テクノロジーの最先端を突き進む「シリコンバレー」、文化(コンテンツ)の聖地たる「ハリウッド」を国内に持っている点です。

産業の変遷を振り返ると、90年代から2000年代前半の世界を席巻したのは、金融でした。
金融工学の発展により「金融×テクノロジー」のイノベーションが生まれ、ウォール街が活況を呈しました。サブプライムローンバブルの崩壊によるリーマンショックまでその栄華は続きます。私自身、2001年に就職活動をしましたが、当時は、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーといった投資銀行で働くことが、野心ある若者の憧れでした。
金融の次に一世を風靡したのは、テクノロジー産業です。


21世紀に入り、Google(1998年創業)やAmazon(1994年創業)の存在感が拡大。2004年にはフェイスブックも誕生しました。2007年にはAppleが初代iPhoneを発売し、モバイル時代が幕を開けました。
今なお、Google、Apple、Facebook、AmazonからなるGAFAを中心とするテック企業の天下は続いています。ただし、データ寡占への反発、中国のBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)の躍進などもあり、GAFAの勢いもピークを越えた感があります。Facebookのスキャンダルは潮目の変化を印象づけました。業績は成長していますが、逆風がやむことはないでしょう。今はテクノロジーの影響が高まりすぎて、ユーザーの「テクノロジー疲れ」も深刻化しています。


人文科学は復権する

では、金融、テクノロジーの後に来るのは何でしょうか?
それは「文化」だ、というのが私の読みです。テクノロジーはあくまで手段であり、能力増幅器のようなもの。金融もあくまで手段であり、血液のようなものです。テクノロジーも金融も強力なネタがあってこそ、威力が発揮されます。テクノロジー、金融に対する失望の後、主役の座を射止めるのは文化でしょう。
「経済×テクノロジー×文化」は「社会科学×自然科学×人文科学」とも置き換えられます。ここ数十年、世界では、社会科学、自然科学のウェイトが高まってきましたが、退潮気味だった人文科学、文化、アートの復権はすでに始まりつつあります。

平成の30年間は、日本経済にとって喪失の日々でした。目の前の生活がほどほどに豊かなので気づきにくいですが、日本はボロ負けしたと言っていいでしょう。平成を席巻した金融革命、インターネット革命、メディア革命、そのすべてにおいて出遅れました。さらに現在進行中のAI革命でも、米中の後塵を拝しています。
しかし、あきらめるのは早すぎます。より文化が重宝される時代、日本には、大きなアドバンテージがあります。ただし、縦割りの中では活かされません。
私は、「経済×テクノロジー×文化」を軸に、横串で多彩な価値を生み出す編集思考を駆使する個人が増えることが、日本の希望になると確信しています。
編集思考は、日本を救う切り札になりうるのです。

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目次

はじめに 「編集」は、メディアの外でこそ活きる
第1章 「縦割り」の時代から「横串」の時代へ
第2章 編集思考とは何か
第3章 ニューズピックスの編集思考
第4章 世界最先端企業の編集思考(ネットフリックス、ディズニー、WeWork)
第5章 編集思考の鍛え方
第6章 日本を編集する
おわりに 編集思考は「好き」から始まる