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「縦割り」の時代から「横串」の時代へ——編集思考#2

イノベーション、新規事業開発、チームづくり、個人のキャリア構築… あらゆるシーンで武器となる、これからの時代を生きるビジネスパーソン必須の思考法は「編集」から学べる。『編集思考』の一部を、特別に公開します。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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第1章 │ 「縦割り」の時代から「横串」の時代へ


—なぜ今、編集思考なのか

日本社会が繰り返す負けパターン


なぜ「編集思考」が今の日本に必要なのか。そのわけを理解するには、まず歴史を踏まえながら日本を眺める必要があります。

日本の組織には負けパターンがあります。それは、「縦割り病」です。「横串」がうまい創業リーダーが去るやいなや、「縦割り」の官僚が跋扈し、自滅してしまうのです。
ここでいう「縦割り」とは、一言で言えば組織の官僚化、つまり組織本来の目的を見失い、全体よりも自己の利益を優先してしまうことです。「横串」とは逆に、本来の目的の達成のために、今ある形にとらわれずゼロベースで必要なものをつなげ直すことを指します。

創業当初は、大局観のあるリーダーがみなを引っ張り、各人が誇りと緊張感を持って、自らのやるべきことをやる。みなが一体感を持って、自分を超えた何かのために汗を流す。それが巡り巡って自分のためにもなり、みながハッピーになる。
しかし、創業期のリーダーが組織から退くと、「縦割り」型の官僚タイプがのさばり、視野狭窄に陥る。自分の部署の業績、自分の出世、自分の好き嫌いにのめり込んでしまう。しかも、本人には悪気がないだけに手の施しようがない。こうした無数の「縦割り」の中で、全体を考える人や機能が衰え、「個々はまじめにやっているのに、全体としては支離滅裂」になってしまう。その後組織が競争に敗れ、焼け野原となった跡に、また新たなリーダーが生まれてくる、その繰り返しです。編集思考はこの「縦割り病」に対する特効薬なのです。

近代日本の歴史は、「縦割り病」の典型と言えます。
まず、明治維新です。積年の恨みを超えて、薩長が手を結ぶ。日本全体のことを考え、無血開城によって政権交代を実現したのは快挙でした。何より、国家の利益に反するとあらば、維新の英雄である西郷隆盛すら切り捨てる。まったく私情に流されません。
1904年に始まった日露戦争では、陸海軍、藩閥の枠を超えて一致団結。世界最強のコサック騎兵とバルチック艦隊を撃破し、日本を勝利に導きました。
我欲を捨てて、天命に命を燃やす。その精神が骨の髄まで染み込んだ人々が、日本を率いていたのです。
しかし、栄光は続きません。伊藤博文、山縣有朋といった明治の元勲が鬼籍に入り、原敬のようなジェネラリスト型のリーダーが暗殺により倒れると、大所高所から俯瞰して、複雑な「連立方程式」を解けるリーダーがいなくなります。

1945年の敗戦を迎えるときには、日本の人材は払底していました。正確には、適切な人材が、適切な地位に就くシステムが壊れてしまっていました。東条英機と近衛文麿はその象徴です。
東条は、学校の成績は優秀で事務処理能力も高く、上司には従順で、部下の面倒見はよい。その一方で、大局観はなく、些事に拘泥し、精神論に傾く。平時ならまだしも、有事にはもっとも害悪となるタイプです。
近衛文麿に至っては、占領軍の一員でカナダの外交官だったハーバート・ノーマンに一刀両断されています。

「淫蕩なくせに陰気くさく、人民を恐れ軽蔑さえしながら世間からやんやの喝采を浴びることをむやみに欲しがる近衛は、病的に自己中心で虚栄心が強い。かれが一貫して仕えてきた大義は己れ自身の野心にほかならない」


大局観を持たず自分優先の判断しかできないリーダーのもと、日本は文字通り焼け野原となってしまいました(一度目の横串→縦割り)。

しかし、そこからまた、新たな希望が生まれます。その筆頭が、敗戦の翌年に生まれた、ソニーです。1946年5月7日、日本橋・白木屋の3階に会社を開いた井深大(当時38歳)は、盛田昭夫(当時25歳)など20人の仲間を、こんなスピーチで鼓舞しました。
「大きな会社がこれから復活してくる。これと同じことをやったのでは勝ち目はない。技術の隙間はいくらでもある。われわれは大会社ではできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立とう」
井深、盛田の側近として27年間仕えた垰野堯は『ソニーはどうして成功したか』の中で、井深の“人を愛する心”と盛田の“日本を愛する心”が戦後の復興という意識で一致したところに、2人の大義名分が生まれたと記しています。

井深自身、「ベンチャーを目指す企業には技術や資金よりも思想が必要だ」と喝破しています。2人とも自分を超えた大義や思想に生きるリーダーだったのです。
この後、ソニーに続き同年に設立されたホンダなど、日本の企業が次々に世界へ飛び出していきます。
しかし、日本流の失敗パターンにはまるのは企業も同じでした。
ソニーにしろ、ホンダにしろ、パナソニックにしろ、井深、盛田、本田宗一郎、松下幸之助といった創業リーダーを失ってからは、縦割りが跋扈する普通の会社となり、尖ったサービスやプロダクトが生まれなくなりました(二度目の横串→縦割り)。

もちろん、「昔は世の中がまだ複雑ではなかったため、団結しやすかったし、視野の広いリーダーが生まれやすかったのではないか。複雑化した今の時代に、昔の話を持ち出すのは意味がないのではないか」という反論もあるかと思います。
それも一理ありますが、世界を見渡せば、現代でも、高い専門性と広い視野を兼備したリーダーはゴロゴロいます。ビル・ゲイツは最たるものでしょう。大学でコンピューターサイエンスを学び、その後、経営者として世界一の企業を築き、今はフィランソロピー(企業による社会貢献)の第一人者として、マラリア撲滅など世界のために奮闘しています。大のつく読書家で、構想力と行動力を備えたゲイツは、理想的なリーダーの一類型です。意識と環境とシステムさえあれば、今なおスケールの大きいリーダーは生まれうるのです。
二度目の縦割りを打破するために日本に必要なもの。それは官僚化した組織に横串で新たな風を通す新時代のリーダーです。


生まれてから死ぬまでずっと縦割り

現代日本の「縦割り病」を打破するには、この時代の日本の組織が無自覚に「縦割り」に陥ってしまうメカニズムをまず認識しないといけません。
原因は、大きく3つあります。

1つ目は、人材の多様性の乏しさです。
その根源は、偏差値別、男女別、地域別に分かれすぎた教育システムにあります。とくに東京圏で暮らすと、「進学校の縦割りネットワーク」に陥りやすいのです。
私は福岡県北九州市の出身なのですが、大学時代に東京に移ってきて驚いたのは、進学校の男子校、女子校の多さでした。「麻布だ、開成だ、筑駒だ、桜蔭だ、女子学院だ、雙葉だ」と、中高時代について話す人が異様に多く、話題についていけなくて戸惑いました。
進学校出身者は頭のいい切れ者が多いのですが、どうも価値観の幅が狭い印象を受けます。最近は受験競争が過熱し、幼稚園からフィルタリングがスタートしているのもその一因でしょう。
男子校出身者の場合、男くさいカルチャーの人が大半です。それはそれで楽しい人もいるのかもしれませんが、異質なものを取り入れにくいので、どうしても発想が偏ってしまいます(私は男女共学の県立高校出身ですが、高校1年時に、運悪く男子のみのクラスに入れられました。その1年は、人生でいちばんの暗黒時代でした)。
地方では別の意味の「縦割り」があります。代わり映えしない人間関係がずっと続くため刺激が少ないのです。その上、小さい頃の序列が大学、社会人と一生持ち越されるため、周りの目を気にして、新しいチャレンジを仕掛けにくいところがあります。

昔は、地方の共学の公立高校で育って東京に進出する男女がたくさんいました。しかし今は、早稲田も慶應も学生の7割が1都3県の出身者という「関東ローカル」の大学になっています。
さらに卒業後には、みな同じような大企業や官公庁に就職したり、医者、弁護士、会計士などの士業に就いたりします。つまり、人生や人脈がリセットされるタイミングがありません。

2つ目の縦割りの原因は、大学教育のあり方です。
「日本の大学教育の最大の問題点は何ですか?」と聞くと、「学生が勉強しない」「留学生が少ない」「語学教育が弱い」などいろんな意見が出てきますが、問題意識が鋭い人ほど、「ダブルメジャーが許されていないこと」と答えます。「経済学部を受験すると、大学では経済学部にしか通えない」というふうに、複数の専攻(メジャー)を選べないことが最大の問題なのだと。
ハーバード、スタンフォードなど米国の大学では、ダブルメジャーは当たり前です。むしろ、奨励されています。
たとえば、ハーバードでは50の学部があり、3700のコースが準備されています。その多くは、領域横断的なコースです。しかも教養課程そのものが充実しており、自然科学、社会科学、人文科学を横断した教養を積めるカリキュラムになっています。詳しくは26、27ページの図表1-1、1-2と拙著『米国製エリートは本当にすごいのか?』『日本3・0』に記していますが、知的筋力を鍛える最強のプログラムが用意されているのです。

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今の日本の大学でも、やろうと思えば、ダブルメジャー解禁は可能です。にもかかわらず、ダブルメジャーがいっこうに普及しないのは、学部ごとの縦割りを打ち破るのが政治的に大変だったり、先生や事務局の手間が増えたりするからだそうです。そうしたハードルを越えてでも、日本の未来のために、ダブルメジャーに踏み切る大学が増えてほしい。ダブルメジャーはきっと、今後優秀な学生を引き付ける切り札にもなるはずです。

「縦割り」をもたらす3つ目の理由は、日本型企業のカルチャーです。
そもそも、日本の組織は縦割りになりやすいですが、戦後は、終身雇用、年功序列、企業別労働組合の3点セットにより、その病がさらに重くなりました。
終身雇用で会社を辞める人が少ない上、年功により序列はガチガチ。しかも欧米は職種別の「ヨコ」の組合であるのに対して、日本は会社別の「タテ」の組合です。こうして閉鎖的なタテ社会が強化されていったのです。
1967年に刊行された日本文化論の名著『タテ社会の人間関係』の中で、中根千枝は日本型組織の特徴をこう記しています。

「ウチ、ヨソの意識が強く、この感覚が先鋭化してくると、まるでウチの者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる」

これは企業にも言えることですし、企業内の部署にも言えることです。こうした文化の中では、部門外の人や、社外の人と付き合おうという意欲が生まれにくく、社交の技術もなかなか発展しません。その結果、他流試合の楽しさや厳しさを経験せずに一生を終える人材を大量に生産してしまう、と中根は嘆いています。

とくに日本の大企業の人たちは、社外の社交が苦手です。
私が所属するニューズピックスでは、毎週のように読者向けイベントを主催しているのですが、懇親会の際に、手持ち無沙汰で戸惑っている人は大企業の男性が多い印象です。講演者との名刺交換にはズラッと並ぶのですが、他の企業の人にカジュアルに話しかけたりすることがなかなかできません。
であれば、社内の社交はやりやすいかといえばそうでもありません。日本型企業は、企業内の部署間の壁も高く、横串をつなぎにくい。社内で編集思考を駆使しようとしても、よっぽど偉くならない限り(トップやトップに近い実力者にならない限り)、各部門をつなげにくいのです。


中根はこう書きます。

「集団における既成の組織力が驚くほど強く、一旦でき上っている組織の変更は、集団の崩壊なしにはほとんど不可能である。そして集団成員の行動力は、完全に既成組織を前提としていることを忘れてはならない。したがって、このメカニズムでは、事実上、その集団の存続を前提とすれば、頂点にいない限り、個人はリーダーになりえないということになる。
個人プレーが圧倒的にものをいう、きわめて限られた分野以外では、どんなに個人が能力をもっていても、頂点にいない限り、名実ともに輝かしい活躍をすることはできない。能力のすぐれた若者・中年者にとって、まことに遺憾なメカニズムである」


この中根の分析を聞くにつれ、大企業で若者がくすぶってしまうのは、もはや日本型組織の宿痾ではないかと感じてしまいます。近年、優秀な若手が有名企業を辞める例が増えていますが、この日本型組織の病巣にメスを入れない限り、社外に飛び出して、起業したり、スタートアップに転職したりする若者は増えるばかりでしょう。

ここまで見たとおり、日本人は、下手をすると生まれてから死ぬまで縦割りの世界で暮らせてしまいます。画一的な大量生産・大量消費の時代はよかったですが、今のように多様な価値が求められる時代には、その弊害が強く出て、閉塞感の原因となってしまっています。だからこそ、横串で物事をつなぐ「編集思考」を備えた個人が渇望されているのです。


落合陽一はなぜ貴重なのか

今の日本で、「編集思考」をもっとも実践している人は誰でしょうか? そう質問されたら、私は「落合陽一さん」と答えます。
落合さんは、私がここ2年でもっとも影響を受けた人物です。
2017年の春に編集者として初めてインタビューした際「この人はこれからの時代を創っていく人だ」と直観しました。それ以来、落合さんをホストとしたニューズピックスの番組「WEEKLY OCHIAI」の配信、落合さん著『日本再興戦略』の刊行など、数多くの仕事をご一緒しました(落合さんも私も、プライベートでべたべたと付き合うタイプではないため、仕事以外で会ったのは1回だけです)。


落合さんは、「つなげる」こと、かけ合わせることの名手です。
1つは「経済×テクノロジー×文化」のかけ算です。
あるときは筑波大学の研究者として学生を育てながらテクノロジーを深掘りし、あるときはスタートアップ企業の経営者として会社を切り盛りし、あるときはメディアアーティストとして創作に打ち込む。彼は、経営者と研究者とアーティストという3つの顔を持っています。

彼の得意なもう1つのかけ算は、「東洋×西洋」です。
東洋思想を言葉と身体で会得している彼は、安易な西洋万歳に陥ることなく、「東洋×西洋」のかけ合わせから言葉や作品を紡ぎ出します。西洋の核心を知った上で(彼は望めばいつでも海外の第一線で働けます)、日本らしいビジョンを描ける。31歳にして私利私欲を超越していて、まるで浮き世ばなれした「モダンな仙人」みたいなのです。
大半の人が「経済」「テクノロジー」「文化」、あるいは「東洋」「西洋」のどれかに偏って、ゆがんだ未来を描くのに対して、彼はすべてのファクターを高次に編集しながら、頭だけでなく、身体を使って未来を表現しようとしています。

落合さんの例を出すと、「彼は天才であって、自分とはかけ離れた人。参考になりませんよ」と言う人も多いですが、それはあまりにもったいない考え方です。落合さん自身も「自分は天才ではない」と言っていますし、実はとてつもない努力の人です。落合さんに学ぶことで、落合さん的なものを自分の中に取り込むことは決して不可能ではありません(私自身も、2年間、落合さんに触れ続けたことで、自らの編集思考を進化させることができました)。

1つのヒントは、落合さんの学び遍歴にあります。
落合さんは幼児期に、幅広く個別教育を受けています。幼稚園に通う傍ら、月曜日はピアノの先生が来て、火曜日は東大の院生から算数を教わり、水曜日は公文式の先生が来て、木曜日は画家が来てくれるという生活。いわば、現代流の貴族教育です。集団教育で世の中の常識も知りつつ、各分野のスペシャリストとともに個別のスキルを育み、五感を刺激してセンスを磨く。そんな絶妙なバランスの教育を受けてきたのです。
その後、高校からは名門の開成高校に通っていますが、大学受験では東大に受かりませんでした(受験勉強の力と、編集思考の力は必ずしも比例しません)。結果、筑波大学の情報学群情報メディア創成学類に進学。そこで、大量の本を読み漁ったり、出版社でインターンをしたり、動画編集を習ったり、中学生に映画製作を教えたり、コードを書いたり、半田付けをしたり、IoTを研究したり。大学4年時には、天才プログラマー/スーパークリエータ認定をもらっています。

アートからプログラミングから工学まで、その文理を横断する活動領域の広さには驚かされますが、先ほど述べたように、ダブルメジャーが当たり前の米国の大学では、落合さんみたいな人はそれほど珍しくないのです。

その後、落合さんは東大の学際情報学府で博士号を取得し、シアトルのマイクロソフト・リサーチで働きました。文理の枠、国境の枠、東洋と西洋の枠、テクノロジーとアートの枠、それらを軽やかに飛び越えながら、根無し草にならず、落合陽一という強烈なアイデンティティーを持っている。そこが彼の傑物たるゆえんです。

こうした落合さんの学び方は、子どもを育てる上でも、大人が学ぶ上でも示唆にあふれています。

「若いときに学ばなかったら、完全に手遅れ」という声は根強いですが、決してそんなことはありません。むしろ「大人になったら手遅れ」という考えこそ日本的なものでしょう。
日本では大学といえば若者だけが通うイメージですが、先進国の多くでは、大人が大学に通うのは珍しくありません。それに今は、大学でなくとも学びの場はいくらでも開かれています。落合さんには誰もなれませんが、自らの専門にとらわれず多様な学びを得ること自体は、誰にでもできるのです。

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目次

はじめに 「編集」は、メディアの外でこそ活きる
第1章 「縦割り」の時代から「横串」の時代へ
第2章 編集思考とは何か
第3章 ニューズピックスの編集思考
第4章 世界最先端企業の編集思考(ネットフリックス、ディズニー、WeWork)
第5章 編集思考の鍛え方
第6章 日本を編集する
おわりに 編集思考は「好き」から始まる

(第1章『「経済×テクノロジー×文化」を越境する人材になれ』へつづく)