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日本製半導体の勃興と凋落——『デジタルテクノロジーと国際政治の力学』#5

国際関係は、政治の文脈でばかり語られてきたが、今、世界を動かすのはテクノロジーだ。テクノロジーを理解せずに国際政治は理解できないが、国際政治を理解せずにテクノロジーを語ることもできない時代となった。
ファーウェイ・TikTok・Facebookのリブラ構想など身近な事例からテクノロジーが世界に影響する「力学」を体系的に解き明かす新刊『デジタルテクノロジーと国際政治の力学』発売を記念して一部を特別公開する。(全5回)

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第1章 デジタルテクノロジーの現代史

日本製半導体の勃興と凋落

1970~1980年代には日米半導体摩擦の嵐が吹き荒れた。半導体技術は産業的、軍事的優位を確立する上で極めて重要であり、それを他国、この場合は日本に米国が依存することは安全保障上の懸念があった。

米国の技術を獲得して猛追した日本の半導体メーカーの市場シェアは、現在摩擦をひき起こしている通信ネットワーク規格5Gのシェア争いと比較しても、米国を動揺させるに十分であった。日系半導体メーカーの出荷シェアは1986年に米国を抜き世界1位(46%)となり、1988年には50%を超えた。日本企業の勢いは凄まじく、1981年に64KDRAMにおいては日本企業(日立、富士通、NEC)が約7割のシェアを占めたとフォーチュン誌が報じている。

当時は米国の日本企業への恐怖から、日本人はシリコンバレーのスパイとも形容され戯画化されていた。そしてかねてから日本の輸入障壁などに対し対日批判をしてきたSIA(米国半導体工業会)は、1985年6月に日本製DRAMに対し、1974年通商法第301条(貿易慣行への対抗措置)に基づき通商代表部(USTR)にダンピング(不当廉売)提訴を行った。その翌年、1986年9月には日米半導体協定(第一次)が署名された。

また、当時は存在が伏せられていた日米間のサイドレターには「外国系半導体の販売が5年で少なくとも日本市場の20%を上回るという米国半導体産業の期待を、日本政府は認識」と明記された。数値目標を課された日本の半導体業界は、その後弱体化していき、90年代半ばには需要の減少によるDRAM不況と韓国メーカーの台頭もあり、日系メーカーはその後DRAMから撤退していくこととなった。

20年後の2010年代においては、日本企業はフォトマスク、エッチング、洗浄などの半導体製造装置、シリコンウエハやフォトレジストなどの材料でシェアと収益率を維持することとなった。日本企業は、デジタルテクノロジーのバリューチェーンを川上に移り、製造装置を提供する側に回ったといえる。

そして2020年代、米国に挑戦し新たな覇権を目指す中国が半導体の国産化を急いでいる。中国は半導体投資を行う政府系ファンド「国家集成電路産業投資基金」を運営し、「中国製造2025」では半導体の国内自給率を2025年までに70%へと高める目標を掲げている。

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【目次】
はじめに 覇権としてのデジタルテクノロジー
第1章 デジタルテクノロジーの現代史
第2章 ハイブリッド戦争とサイバー攻撃
第3章 デジタルテクノロジーと権威主義国家
第4章 国家がプラットフォーマーに嫉妬する日
第5章 デジタル通貨と国家の攻防
最終章 日本はどの未来を選ぶのか