【長周新聞】 東アジアの片隅で孤立するのではなく、むしろ対米従属の鎖を断ち切って、近隣諸国の輪のなかに積極的に加わっていくことこそが新時代の選択であると考えます

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米国覇権終焉と世界の激変の中で問われる日本の針路 年頭にあたってのご挨拶

コラム狙撃兵2024年1月1日

 2024年の新年を迎え、読者の皆様に謹んでご挨拶申し上げます。

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 一昨年から暴露され始めた統一教会による政界汚染に続いて、その統一教会ともっともズブズブな関係を築いてきた自民党安倍派による裏金パーティー券問題で、年の暮れにかけて政界は大揺れとなり、日本社会は建前上、統治の土台が底割れしたようなひどい状態をさらしています。7年8カ月にわたって権力ポストを握った第二次安倍政権の置き土産とでもいうのでしょうか。その後の菅政権、岸田政権まできて、行き着くところへ行き着いた政治の無様な様相を映し出しています。

 一方で、連日の裏金騒動について、政治不信がもとからひどかった世間としてはたいして驚きがなく、どこか冷めた空気すら漂っています。当たらずとも遠からずで、おおよそ自民党なんてそんなものだろう…という、みなが日頃から薄々感じていた不信感が作用しているのでしょう。カネを持っている企業や資本に媚びを売って、なんなら裏金をせびっていた政治家たちに、なんの驚きもないのです。

 モリカケ桜等々と私物化の温床と化した安倍政権からこの方のケジメのない政治を見せつけられて、わたしたちには耐性が培われているのでしょうか。議会制民主主義の定義なり在り方について今更真面目に議論することがばかばかしく思えるほど、目の前でくり広げられている汚職騒動たるや低俗さを極めています。権威の欠片も感じられないほど統治の底が割れているというのは、何も昨年末から降って湧いたように始まった話ではなく、安倍晋三が権勢を振るっていた当時からなんら変わってなどいないし、その威を借る清和会の残りカスたちがてんやわんやしているに過ぎないのです。

 裏金パーティー券が浮き彫りにしたのは、政治資金規正法とはもっぱら飾り物で抜け道もしっかりと作られており、姑息な小遣い稼ぎをはじめとした裏金作りは、長年にわたって慣習として存在していたことでした。要するにそのようにして大企業や資本に寄生し、表向きは企業献金に規制がかかったかのように装いながら、国からは政党交付金まで支給されるようになり、なおかつ裏口からも裏金を得て、政権与党その他が飼い慣らされている仕組みを暴露しました。経団連が毎年24億円を表から自民党に献金しているというのも、費用対効果としては抜群で、自民党が安値で首に紐を繋がれているというだけです。

 こうして一方はカネに依存し、一方はカネで従属させ、支配の道具としての国会すなわち立法府であったり政府というものが、金力と権力を持つ者によって好きなように牛耳られ、その要求に従って法律を変え、国の形を変え、消費税なんて10%にまで上げながら法人税は下げ続け、資本や大企業は稼ぎたいだけ稼げるよう税制や労働法制を変え、今日のような衰退著しい日本社会にしてきた――その関係性をわかりやすく示しています。飼い犬に成り下がった政治家たちを使って、すべては実行されてきたことでした。

 大企業の内部留保は500兆円をこえるまでに膨れあがり、一方で国民生活はかつてない窮乏化に見舞われ、富が社会全体で共有されないという矛盾が露骨にあらわれています。強欲資本主義ともいわれる金融資本を頂点にした市場原理主義が猛威を振るう社会とは、今だけ、カネだけ、自分だけ――に収斂(しゅうれん)されるように、その他がどうなろうが知ったことかが基本であり、社会全体の利益すなわち公益であったり、世の中全体の安寧や豊かさなど二の次であり、もっぱら富める者はますます富み、彼らだけが自由や豊かさを享受する社会にほかなりません。

 大資本、大企業に手なずけられた政治のもとで日本社会はどうなってきたか――。失われた30年ともいわれる長きにわたるデフレのもとで、深刻な貧困化が進んできたことはいうまでもありません。さらに数年前のコロナ禍からウクライナ戦争を経た世界的混乱のもとで、物価高や燃料高は止まらず、また異次元緩和がもたらした弊害としての急激な円安と輸入物価の高騰などに直面し、いまやスーパーで買い物をしようにもレジでの支払いは以前と比べて千円単位で感覚が異なるほどです。各種の税金や保険料は上がるばかりで、そのうえに消費税はまるで罰金刑のように一割が課せられる始末です。既に国民の税負担率は5割ごえであり、封建時代の収奪を凌駕(りょうが)するほど遠慮のないものとなっています。

 1億総中流などといわれた時代ははるか昔、国民生活は疲弊しきっており、6・5人に1人が貧困状態といわれるまでになり、子ども食堂が全国に雨後の筍のように設置されるような社会になってしまいました。子ども食堂だけでなく、お年寄り食堂も開設しなければならないほど、1日3食満たされることすら困難な人々が無数に存在し、社会問題になっています。誰もが安心して家族と暮らすことができ、心から満たされた社会、本来誰もが望むであろう暮らしやすい豊かな社会とはほど遠いのが現実です。

 一方で金融市場にはカネは有り余っているのに、一握りの者が握って離さず、それらで打ち出の小槌のように投機・マネーゲームによってカネを膨らませています。いったいそれ自体何の意味があるのだろうか?と思うほどもうけているのに、タックスヘイブン(租税回避地)に隠匿したり、実態社会にはなんら豊かさが共有されないという歪みきった構造が横たわっています。

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 世界を見ると、ウクライナとロシアの戦争が始まって約2年が経過し、昨年は中東でもイスラエルが国連や世界各国の非難にもかかわらず公然とガザでパレスチナ人の虐殺をくり広げるなど、第三次大戦に発展しかねない緊張が高まった状態が続いています。1世紀近くに及んだパクス・アメリカーナといわれた米国覇権の時代が終わりを迎えつつあり、そのもとでなお覇権にしがみつこうとする側と、成り替わっていく側との矛盾が各所で衝突し、軍事的緊張が高まっています。「台湾有事」なるものもその一端であり、米中覇権争いの反映にほかなりません。

 米国がかつてほど軍事力によって世界覇権を思うがままにすることができなくなり、さらに国内矛盾も激化して内籠もりをよぎなくされていくのに対して、世界では資本主義の不均衡発展の法則をなぞるように、BRICSをはじめとしたグローバルサウスと呼ばれる新興国・発展途上国が存在感を持って台頭し、経済的にも牽引しつつあります。欧米による植民地支配を経験してきた国々が、体制の違いにかかわらず独自性をともなって国際的な関係を切り結びはじめ、いまやGDPにおいてもG7を抜くほどの存在になっています。

 こうしたまだまだ経済的発展の余地がある地域が台頭する一方で、皮肉にも資本主義体制が一周回った先進国ほど腐朽衰退の歩みを進めているのも特徴です。各国ともに国内では暮らしていけない現実に抗してデモやストライキといった大衆行動が強まっています。資本主義の総本山だった米国が最たるもので、日本国内で報道こそされないものの、昨年も大規模なストライキが各分野でたたかわれ、社会全体の富に寄生するウォール街の金融資本を揺さぶっています。

 このように変わりゆく世界のもとで、日本社会はどのような針路を選択することが求められているのか――。権力機構はいつまでも対米従属の鎖につながれて、米軍需産業からゴミのような武器を大量に売りつけられて、そのために防衛増税43兆円だとか、米中対立に首を突っ込んで台湾有事に武力参戦でもしかねないような勢いであるとか、まるでウクライナにそっくりといわんばかりの鉄砲玉路線を進んでいます。アジアにおける米国の鉄砲玉となって、この没落と一蓮托生で歩みを共にするというのでは“日本沈没”になるほかありません。

 米中対立の狭間で軍事的緊張を煽る側ではなく、いかなる国とも友好平和、平等互恵の関係を切り結び、経済的にもつながりを深めることが日本社会の繁栄につながることはいうまでもありません。「アジアの世紀」ともいわれる時代が幕を開けているなかで、東アジアの片隅で孤立するのではなく、むしろ対米従属の鎖を断ち切って、近隣諸国の輪のなかに積極的に加わっていくことこそが新時代の選択であると考えます。ミサイルを向けあった軍事的緊張や没落の道ではなく、共に経済的発展もともないながら豊かさを享受する道を選択することの方が、はるかに国益にかなうことは疑いありません。

 BRICSやグローバルサウスの台頭について、日本国内ではあまり報道されることもなく、グローバルな視座から捉えた論考もまだまだ少ない現実がありますが、世界はダイナミックに変化しつつあり、ここで静止的にパクス・アメリカーナの枠組みこそが絶対というのではとり残されるほかありません。こうした変化に疎いどころか、国の針路などそっちのけで、もっぱらせこい裏金作りに精を出しているような連中など、もはやお話にならないほど低俗な存在であり、これらに社会の命運を委ねるわけにはいきません。腐った政治家なり為政者が没落するのは自由ですが、それに運命共同体で社会全体が付き合わされる謂れなどありません。

 世界情勢を的確に捉えて大胆に針路を変更する、舵を切ることが待ったなしであり、そのためにも真に日本社会の未来を担いうる政治勢力の台頭こそが切実に求められています。

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 1955年の創刊から長周新聞も今年で69周年を迎えます。誰もが豊かで心穏やかに暮らせる社会、貧困も失業も戦争もない社会の実現を目指し、そのために「いかなる権力にたいしても書けない記事は一行もない」の社是を貫いて、本年も新聞発行に努めます。社会的に有用とされる新聞を作り続け、よりよい社会に一歩でも二歩でも近づいていくためにスタッフ一同奮闘することを読者の皆様にお約束します。

 2024年元旦

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