==思い出した話==


80年代の初頭の頃だったと思う。ジェフリー・H・カーンズという写真家がいた。
いた。というのは、つまり、今はいないのである。
亡くなったのでもなく、皆誰もが、どこにいるのか所在がつかめないのである。
突如として現れ、ニューヨークのごく一部のギャラリストたちの中では50年に一度の才能と称えられ、その後約1年弱で姿を消した。
姿を消したというよりも、その名前と作品は 、太古の魔術師たちが執り行う儀式のように封印された。
当時は現代とは違い、インターネットは一般の知識の補助とするのにはあまりに心もとなく、そればかりかコンピュータ自体を使えるものが圧倒的に少なかったため、現代では1時間で広がる情報も、軽く1ヶ月の時間を要した。
そのような状況の中、さらなる不幸として、彼の作品というのは、ほとんど記録も保存もされていない。もちろん写真集も一冊もない。
封印のような形になっているため、当然オリジナルの作品がもしあったとしても見ることは不可能である。
もちろん、ここまで読んでGoogleなどの検索をかけても、まず出ては来ないだろう。検索のワードで、たとえ名前に「r」を増やしても、「J」を「G」に変えたとしても探すことは不可能だろう。
万が一出てきたとしたら、それは別人だ。
カーンズに関する資料は本当に無く、僕が知る限り、唯一存在するのはフランスのアートジャーナリスト、クリスチャン・ルモアが残した、しかも自費出版という形で残した、彼、カーンズ自身とその作品が世界から封印された直後に取材し出版されたドキュメンタリーの本のみである。
そこにはほんの少しではあるが、カーンズの作品や、それにまつわる話、そして母親のインタビューまで載っている。
なんで僕がこんな数少ない人しか知らない話を知っているのかというと、
ーそれは僕がフランスにいた86年ごろの話ー
毎週のように通っていたモントルイユの蚤の市で、僕はある日いいのか悪いのかわからない骨董を売っている若い男のテントにいた。そのテントの下で、これまたいいのか悪いのかわからない絵や古本を物色してた時にまでさかのぼる。
そこの店で僕は、なんとも言えない美しいのだけれども頽廃した空気に満ちた写真の載っている製本のあまり綺麗ではない本に出会った。
当時の僕にも買えるインチキな骨董が並ぶその店で、その本の値段は異様に高いものだった。
若い男は、その本に興味を示した僕を目ざとく見つけ言ってきた
「これは、本当にレアな本なんだぜ。世界中で1000冊しか出ていなくて、しかもフランスには多分400冊くらいしかないはずだ。その他に世界中に出回った600冊も全部無事とは限らない。お前の国の中国でも5冊も残っていればいいほうだろ」
「日本人だよ」
僕は小さく答えながら、その男に中を見せてもらえるか聞いてみた
「買う気があるならいいよ」
男が聞いてきた。
買う気がないのと、買う気があるが買えないは似て非なるものだ。僕は
「あるよ」と答え
「少しだけだぞ」とこちらの魂胆を見透かしながらも許してくれたその男に少し感謝した
その本の中身はさっき少し話した通り。カーンズの作品、その解説、
「本当の青い壁」という作品は全体が真っ青に塗られた天井の高い薄暗い部屋にゆるく光が差し込み、その部屋全体を大きく写し込んだ真ん中辺に小さくドレスのような赤いものがかかっているそんな写真だった。
その他には真っ黒な空間に一筋の真っ青な光線が写し出されその先には黒い塊がある。
と言った抽象的な表現の作品がほとんどであった。
そして、それぞれの作品の解説、彼の製作に対する評論、そして彼の母親が彼について語るという、あまり見たことのない内容で構成されていた
母親のコメントは、息子であるジェフリーを讃え、そして、弁護するかのような内容に感じ取れるもので、評論文も作家自身の陰の部分と才能への賞賛だったのだが、当時の僕の読解力では、完全に理解することは難しかった。
しばらく僕はそこで本を見せてもらい、丁寧にお礼を言ってその場を去ったわけだけど、カーンズの名前はしばらく頭に残っていた。
それから何ヶ月か後、ヨーロッパの出版関係にも通じている、日本人キュレーターの方とお会いした時、偶然にもカーンズの名前が出た。
そこで僕は一番の疑問だったカーンズの封印の理由を聞いてみた。
封印の理由については不明な部分がいまだ多いのだが、2つ説があり、
1つは、カーンズを見出したギャラリストと不仲になり、いわゆるアート界から抹殺された。
もう1つ。これが一番の説と言われているのだが、カーンズが消えるのとほとんど同じ時期、ミネソタ州で若い女性だけを狙った猟奇殺人事件の犯人が捕まったのだが、この犯人とカーンズが同一人物だったのではないかと言われる説。
理由として、関わったとされる被害者の人数と、カーンズの作品の数が一致すること。
犯人の部屋から押収されたものに、現場のスケッチ、そしてその計画までの綿密に描かれたアイデアスケッチがあったこと。
などといったことが理由らしい。
そしてその方が言うには、自費出版をしたジャーナリスト、ルモアを中心に、その本を元とした新たなものが再編集され出版される計画が進んでいると言うのだ。
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という、バックグラウンドを持った、ある謎のアーティストをドキュメントした。という虚構だけでできた作品集を、自分の作品集として出したいな。
と、今から15年以上前、ぼくが当時とても尊敬していた編集者に話を持ちかけたことがある。
その時の彼の返事
「アイデアはすごく面白いんだけど、一番の問題は、天才と言われた人間の作品の質だよな」
と、一番重要な本質をつかれたことを思い出した。

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