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徳倫理学:マッキンタイア『美徳なき時代』から考える「コミュニティ」のケーススタディ1~ビジネスへの視覚(6)~

新年最初の記事となります。本年もよろしくお願いいたします。

前回の記事では、マッキンタイアは『美徳なき時代』において、倫理を地に足のついたものとするために、他者との共同による「共通善」を探るとともに、歴史や伝統との共同を強調していることを述べました。

さらに、マッキンタイアが私たちに身近な存在たらしめているのは、彼がナショナリズムを否定していて、小規模なローカルなコミュニティの可能性を模索しているところです。

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ところが、マッキンタイアは倫理学の泰斗ではありますが、具体的な実践という点ではそれほど意義のある提案をしているようには見えません。

そこで、今回はマッキンタイアを離れて具体的なケーススタディをすることを予告していました。

他者との共同というと、田舎のコミュニティが最適です。個人の自由が保証されている近代的な生活に慣れた私たちには、田舎のコミュニティは息苦しく感じるものです。

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ところが、アテナイというポリスは市民の人口が数万人程度であったとされています。当時の最先端地域であってもその程度の人口規模であったわけです。その規模であれば、政治の議論をするアゴラに行けば皆顔見知りです。

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他者との共同による「共通善」歴史や伝統との共同といっても、マッキンタイアはどこまで息苦しい田舎のコミュニティに身を投じる覚悟があるのかは分かりません。

ところが私は、その田舎のコミュニティこそが新しい徳倫理の実践の場になりうると思っています。その一つの実践の試みとなるのが、私が住んでいる富山県朝日町にあるのではと見ています。

この記事ですが、興味深いのが記事掲載の下記のスキームです。

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長い歴史と伝統に根ざした約100世帯のコミュニティが、ファンドを介在させて、水道インフラを維持するために小水力発電の売却益を活用しているというスキームが実に興味深いです。

こういうスキームが実現するためには、普段から集落内での「共同善」を目指した「他者と共同」した議論が密にできていないと不可能です。

倫理を地に足の着いたものとするためには、このような地道な銭金の絡んだインフラの維持をめぐる議論が必要であろうと思います。再生可能エネルギーに恵まれた集落という特殊事情があるので、一般化は難しいかもしれませんが、だからこそ最先端の実践の試みと言えます。

ビジネスとしても、地に足の着いた感じが得づらいSDGsに飛びつく前に、こういった地域コミュニティと人々の共同の伝統を生かして、その持続可能性を高めるという目的意識でビジネスモデルを組み立てると良いです。

マッキンタイアの文脈から大きく逸れてしまいましたが、彼の議論に具体的なケーススタディや現代性、そして日本に固有の限界集落という問題が欠けているので、議論をかなり具体的な次元まで落として検討してみました。

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