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『世界牛魔人』書評

著者ヤニス・バルファキスは元経済学者にして、その後にギリシャ財務大臣を努めて、ギリシャ危機時に国際債権団との債務減免交渉を行った当事者である。その時の苛烈な体験は『黒い匣』で描かれており、読者を圧倒している。

その一方で彼が2011年に執筆した本書は思想書としての集大成である。ブレイディみかこさんが帯で紹介しているように、ブレトンウッズ体制の起こりから世界金融危機(いわゆるリーマン・ショック)に至る経済体制の流れを「キャピタリズム歴史絵巻」として描いている意欲作であり、独特のリーダビリティで読者を巻き込む。

経済の書物として決して読みやすいわけではないが、世界牛魔人(グローバル・ミノタウロス)というタイトルからして、ギリシャ神話の伝承上の牛頭人身を用いているところが興味深い。

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「世界牛魔人」は、第二次世界大戦後に構築された「世界計画」(いわゆるブレトンウッズ体制)が崩壊した後の1971年以降の新自由主義的経済秩序の象徴として用いられている。

米国が莫大ないわゆる「双子の赤字」(貿易赤字と財政赤字)をフル活用して、ドイツ・日本、そして中国の余剰資本を吸い上げていく様は「世界掃除機」と名付けるのも適切かもしれないと著者は指摘する。その一方で、2008年の世界金融危機に至るまで私達を翻弄し続けた国際制度設計の劇画的・神話的側面を強調するために「世界牛魔人」というタイトルを採用したと述べている。

「世界計画」(いわゆるブレトンウッズ体制)では、米国が黒字蓄積国家であり、西欧諸国や日本に黒字の一部を再循環させることで米国産輸出品や、その諸国の製品への需要を生んだ。それに対して「世界牛魔人」では逆転の発想で、他国の余剰資本を米国が吸収して、それを元手に他国産品を輸入することで資本を再循環させたところが「世界牛魔人」の特異的な点であるとする。

これにより、低迷する西欧諸国や日本の経済成長率を尻目に、1990年代には米国が先頭を走るようになり、「伝説の魔術」が功を奏する事となったという。

さらに興味深いのは、「世界牛魔人」を支える「侍女」という象徴である。著者は下記の4つをリストアップする。

1.ウオール街

2.ウォルマート

3.トリクルダウンに基づくイデオロギーと政治

4.そのイデオロギーを支えるサプライサイド経済学

この侍女たちは断片的にはよく報じられておりよく知られている内容ではあるが、「キャピタリズム歴史絵巻」の中で「世界牛魔人」を支える「侍女」として描かれると、1970年代以降の余剰生産品にあふれた豊かな生活ではあるもののアナーキーな経済状況の輪郭がくっきりとグリップされている「歴史絵巻」にドキッとする。

この歴史絵巻において驚くのが、日本に割かれる記述が多いことである。「世界計画」の時代は米国の手厚い加護のもとにあった「御曹司」として、翻って「世界牛魔人」の時代には貿易黒字を米国債を購入することで注ぎ込むことになったという点で、とても大きな影響を与えたからであろう。

日本から超低金利で円を借りて、それをドルに換金してアメリカで融資または投資を行うという「キャリー取引」が世界金融危機前に一世風靡したが、これもまた日本が世界牛魔人を急速に肥やしていたという一側面なのである。

それに続いたのが「虎」としてのアジア諸国である香港・韓国・シンガポール・台湾であり、強大な米国債債権国としてのし上がってきている「龍」としての中国である。近年は中国の影響力が大きくなっており、最終章には中国への記述も多く割かれているが、中国でも経済成長率が鈍化するなどとても世界牛魔人のように世界諸国の黒字を引き受ける力はないと診断が下されている。

ところで、2008年に世界牛魔人は没落したというのがこの書籍の見立てだが、出版されたのが2011年である。その後10年経っている。

その後の世界はどうなっていて、世界計画や世界牛魔人に代わる体制が打ち立てられているのであろうかという疑問が残る。何と言っても新型コロナウィルスという感染症が世界を席巻している。

その疑問に答えるのが二本のインタビューが収められた付録である。一つは財政民主化について語り合ったチョムスキーとの対談、もう一つはパンデミック以後の世界経済のゆくえについて語ったインタビューである。

結論を言うと、金融市場はG20の中央銀行が一致団結して2008年の金融危機を乗り越えて再生されたが、世界の黒字を再循環する能力を失ったままであり、銀行や企業にブタ積みされた通貨を生産的な投資に変身させて優良雇用を大規模に創出する力は失われたままであるということである。

つまり、世界牛魔人に代わる体制が構築されておらず、そのためにパンデミックで甚大な打撃を受けたという診断を下している。

著者はそれを克服する道筋として、財政民主化を挙げている。具体的には「プログレッシブ・インターナショナル」という世界政治運動を立ち上げており、ストライキやボイコットなど世界各所でゲリラ的に活動を起こすことで世界的な連帯をつくりあげるという活動家として活路を見出しているようである。

しかし、今は野党の政治家となって、「新しい経済思想の体系など必要ない」とまで言い切る彼の見立てはどこまで私たちに資するところがあるのだろうか。単なる政治的プロパガンダに過ぎないのではないのかという疑念も当然生ずる。

詳細を検討していただくために、是非とも本書を手に取っていただきたい。少なくとも、様々な怪物を比喩に挙げて描きあげるこの歴史絵巻の圧倒的なリーダビリティは保証する。

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