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保育の仕事を10年勤めて思うこと


保育の仕事を始めて約10年が経つ。
10年経つと、保育の世界から既に離れている知人も多い。

私も保育関係の仕事というのは変わってないが、転職もしている。


新卒で幼稚園で働いていたのだが、転職をし、五年ほど前からYouTubeをやったり、ライブ配信をしたり、クラウドファンディングをしたり、絵本を描きたいと言ったりと… 
気付いたら色々やっていた。


振り返ってみて、自分の中で1番変わったものは、保育士はこうあるべき という勝手な「保育士像」を持つことが段々なくなったことだ。

以前の私はいつも笑顔で、子どもたちのため!と思って残業代も出ないのに、深夜0時まで残って仕事をしていたこともあった。
何でも手書きが愛情で、手作りが愛情。
子どもたちに愛情を注ぎまくるのがいい保育士。いい先生。

そのうち、気付いたら耳が聞こえなくなることもあった。でも、いつから耳が聞こえなくなっているのかすら分からない。
不調にすら気付かないほど「理想の保育士」に洗脳されていた。


日本の保育が辛すぎて海外で働いている知人もいる。
日本の保育は海外から見ると完璧を求められすぎるそうだ。

例えば、これは賛否両論あるだろうが、子どもが園で転んだ時に、日本なら保育士が謝るが、ドイツに住んでいる保育士の友人に聞くと「転んだのは子ども自身なんだから、先生は謝らないよ。転びましたっていう報告はする」と言われた。
確かに故意に押したりして転ばせたのであればアウトだが、勝手に転んだのであれば、謝る必要はないというのは納得だ。


最近では「完璧を求めない」という考えが広まり、自分にも相手にも優しくしよう。と考えられるようになった。

しかし、自分にだけ、相手だけではなく、子どもにも、子どもと関わる全ての人にまで「完璧を求めない」を広げられる人はどれだけいるだろうか。
つい、子どものこととなるとまだまだ「完璧主義」を貫いてしまうことが多い。

それは決して保護者が悪いわけでもない。保護者もまた、どこかで「完璧主義」を求められていて辛い思いをしていることが多い。

責任の押し付け合いではなく、お互いに余裕を持ちながら歩み寄っていくことが、本当の保育であり、保護者への支援なのだと思う。


早咲きの桜を見ると卒園式を思い出す。
10年前の自分を抱きしめてあげたい。

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