縁切り神社つれづれ②
はじめは好奇心だった。神社の御利益は特に信じてなかったし、先生オススメの絵馬が見られればそれでよいと、初めての縁切り神社訪問に至った。
その神社の名前は、安井金比羅宮というものだった。なんだ、縁切り神社という名前じゃないの。ハタチの時、女友達と二人での弾丸京都旅行で、真っ先に訪れた縁切り神社に少し拍子抜けした。まあいいや。目当ては絵馬。パンチの効いたやつ、頼むよ!と思いながら見学すると、思わず笑ってしまうくらいの呪いの言葉の数々が目に留まった。普通、神社の絵馬と言えば、受験合格や安産、健康祈願が一般的ではなかろうか。この神社にももちろん、「お母さんの病気と縁が切れますように」など平和な願いの絵馬が多くぶら下がっているのだが、半分くらいは「あいつが苦しんで死にますように」や「誰々さんとあの女が別れて、私と結ばれますように。ついでにあの女は事故にでも遭いますように」という、誰かへの呪いである。中には絵馬を書いた本人のものと思われるフルネームや住所まで書いてあるものもあり、私は面食らった。誰かの不幸を神様に祈り、それを人様に堂々と晒すほど、この人たちの思いは強いのだ。そのパワーたるや!彼らが呪いの絵馬を書くに至った経緯を想像していると、未だかつて感じたことのない、大きなエネルギーに囲まれたような気がして、血が体中を巡るのを感じた。私は、この神社の虜になった。
考えてみれば、世間様に顔向けできないような祈りを黙って聞いてくれるなんて、この安井金比羅宮の神様は非常に懐が深いのではないか。友人や家族に明かすこともできず、ひた隠しにしている、「誰かが不幸になってほしい」という気持ち。その裏には、「私だって幸せになりたい」の超巨大バージョン・・・だけどこれこそヒミツ、が、隠れているように思える。
10年の時が経ち、今までで一番辛かった新年を迎えた年、初詣はここへ来た。その年から、お賽銭は硬貨ではなくお札にした。一緒についてきてくれた友人は、お札を賽銭箱に入れる私を見て「・・・本気やん。」と呟き、それが笑いを誘った。優しく常識的な心とモラルを持つ友人の手前、絵馬に呪いの言葉を書き殴ることはかなわなかった。
この神様は非常に現金な性格なのか、お賽銭をお札にしたあたりから、御利益を感じるようになってきた。とにかく嫌なこととは、スッパリ縁が切れる。ちなみにこの神社の謳い文句は「悪縁を切り、良縁を結ぶ」であり、私は「良縁」とは男女や友人の縁なのかと思っていたのだが、それがお金であることもあるようだ。おみくじもいつも良いことが書いてある。そうか、神様ったら、ゲンキンだなあと思いながら、御守りにも奮発する。
思い返してみると、この神社にお参りに来るときには毎度違う友人知人と一緒だったのだが、それが友人であろうと結婚相手であろうと、男性との縁は全て切れたのである。一緒に来た女友達とのご縁は、今も繋がっている。神様、どうしちゃったの。なぜ男の人は切っていくの。理由を知る由もないが、お互いにとって要らない縁だったということなのだろうか。そういえば、アメリカに住むことになるとは思いもしなかったのに引越しを決めた年の新年も、ここへ来た。神様、日本との縁まで切っちゃうつもり!?と驚いたが、偶然にも大阪の音楽コンクールに出場する運びとなり、京都に立ち寄ることができた。あまりにもご縁をスパスパと切ってしまわれるようなので、この神社に寄るかどうか迷ったのだが、お礼をせねば不義理であろうと足を運んだ。境内には、今までになく清々しい空気が漂っていた。
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