7月10日

お店からの帰り道、乗り換えの駅のホームに降り立った瞬間にひどい豪雨。部屋の窓が開いているなぁこれはやってしまったなぁと思いながら、風に煽られる大粒の雨を見ていた。乗り換えの駅から最寄駅まではほんの数駅だけれど、着く頃には雨は止んでいいて、家に着いて大急ぎで窓に駆け寄るとなんと水滴ひとつついていなかった。あの手の豪雨は局地的だから免れたのだろうか、とにかくよかったこれからは気をつけようと思い着替えを取りに寝室に入ると大きな水溜りが出来ていた。ベッドも一部慣れていた。悲しい。今朝洗濯機を回して天気が良かったから洗濯物を一度外に干して、家を出る直前に部屋に入れ、でもまだ生乾きだったから風を通したいなと思って窓は開けて出たのだった。雨が降るかもしれないと思って洗濯物は中に干したのに、窓は開けておくという自分の判断が甚だ謎。

西村大臣の暴挙を受けて、きのうは急遽SOSでTwitterデモ。#根拠のない酒類規制に反対です というもの。思った以上に反響があった。みんな怒っているのだ。当たり前だ。友人知人のツイートもいくつか見かけて、心強く、嬉しかった。ひとまず金融機関への働きかけは撤回され西村氏は謝罪したけれど、酒類提供業者への働きかけは変わらず行う意向のよう。というかそもそも規制自体をどうにかしたい。これからなにが出来るだろうか。いずれにしても西村氏には早く辞任してほしい。というか菅氏にも。

そうして夕方にTwitterをあれこれしながら電車を乗り継ぎ、最近神奈川の生麦というところに引っ越した友人の新居まで。小学校からの地元の友人3人との定期的なごはん会。アボカドのケークサレというのを初めて焼いてお土産に持っていったのだけど、ちゃんとレシピを守って作ったのにあまりうまくいかなかったのでそのことをわたしは今日もまだ根に持っている。

今朝は9時からマンションの排水管の工事の立ち会いというものがあり(実施日7月10日(土) 次の工事は15年後です、立ち会えずに今後排水管が詰まるなどした場合、自己負担での対応になります、という有無を言わせない脅迫めいた通知がポストに入っていた)終電で帰るつもりだったのだけれど、まぁやっぱりそんなのは全然無理で、深夜までみんなと飲みながらすっかり話し込み、数時間眠って7時前にみんなを起こさないようにそーっと出てきたのだった。

そんなわけで今日は久しぶりの二日酔いで一日具合が悪かった。まぁ仕方がない。そしていまは眠い。とても眠い。

いろんな話をしたけれど、最近ちょっとうまくいきそうかも、と思っていたひとと結局うまくいかず、その矢先に友人の最高に素敵な結婚式がありけっこうちょっと落ち込んだ、という話を自らしたのは画期的なことだったかもしれない、と今日振り返ってみて思う。彼女たちはわたしの一番古くからの親友だけれど、彼女たちに対してさえわたしは弱音の類をほとんど吐かずにきた。この半年くらいでやっと少しずつ話せるようになってきて、それには彼女たちももちろん気がついていて、きのうはそんな話もしたのだった。

先日友人が主催する対話の会に参加したとき、いくつかの決まりごとというか、その会における前提の中に「否定せず受け入れる」「ここではなにを言っても安全・安心」というものがあり、会話において安全・安心であることはこんなにも自分の話し方や内容に影響を及ぼすのか、と軽い衝撃を受けた。そして逆に、いかに日頃の会話が安全安心でないか、あるいはそれらを感じられていないか、ということを思い知った。

きのうの彼女たちとの時間はまったく安全で安心なものだった。自分が日々少しずつ解けていっている。それはとてもいいことだなと思う。

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