11月24日

今日はさきさんと下北のムーナで、海鮮の限定ランチを食べて、それは鯖のカレーと鮭のカレーと豆のカレーと、ライスとペラペラの豆の粉のお煎餅みたいなのと、ナンを揚げたようなのと、それから青菜としめじとお揚げのお浸しみたいなのと、1センチ角のさつまいものほくほくした何かと、白菜などの浅漬けのようなのが銀色の丸いお盆のようなプレートに乗ったもので、以前ムーナで豆カレーのセットを頼んだときごはんを少なめにしてもらっても食べきれなかったことがあり、それよりも多いものを食べ切れるだろうかと不安に思ったけれど、さきさんがそれにするとすぐに決めたのでそれを食べているさきさんを見たらわたしはきっと鯖のカレーも鮭のカレーも食べてみたくなるに違いないと思い同じものを頼んで、時間はさきさんの倍ほどかかったけれど無事に完食した。わたしは食べるのがとても遅い。高校生のときから。あるいはもっと前から。

そのあとわたしも何度か行ったことのあるコーヒー屋さんでコーヒーを飲んだ。さきさんは何とか種といういちばん高い950円のコーヒーを、これが本当に美味しい、贅沢する、と言って頼み、わたしはクリスマスブランドというのを頼んだ。フレンチプレスで出てきたコーヒーを、ひと口分ずつお互い注ぎ合い味見をした。さきさんの頼んだそれは確かに香りも口当たりもはっとするほど鮮やかでまろやかだった。

さきさんと別れたあとわたしはひとりでB&Bに行き、しばらく本を物色した。読んでいない小説の類が家になくなったのでなにか次の小説をと思ったけれど結局エッセイを3冊選んでいた。本を選ぶときの感覚というのはいつもとても不思議で、表紙をめくって数行読んだときにその日買う本とそうでない本がわかる。あの感覚はなんだろう、と毎回思う。

さきさんとふたりで会うのは初めてのことで、さきさんとこんな風にお昼ごはんを一緒に食べたりコーヒーを飲んだりする日がくるなんて思ってもいなかったからとても嬉しかった。さきさんはずっとわたしのことをのぞみさんと読んでいたけれど今日はのんちゃんと呼んでくれてそれも嬉しかった。わたしもとても砕けた敬語で話した。同い年くらいかなとずっと思っていたけれど、さきさんがひとつ上だった。とても魅力的なひとだと前から思っていたけれど、ゆっくり話してみて、やっぱりとても魅力的なひとだと思った。だからさきさんから連絡がきて一緒にごはんでも、と言われて驚いた。そして今日も話していてなんだかたくさん褒めてくれて、そのことにも驚いた。

わたしは基本的に自尊心に欠ける人間だから、ひとに興味や好意を持たれるといつもとても不思議な気持ちになる。どうして、と思う。今日もそう思った。だけどやっぱり嬉しかった。そうしてさきさんは今日の時間を楽しんだだろうかと、B&Bに向かう道すがら思ったけれど、そんなことを思うのはさきさんに対して失礼だなと思いやめた。

B&Bを出て、少し歩きたい気持ちになり、下北の駅とは逆方向に歩くとすぐに環八(環七?いつもわからなくなる)に出た。少し迷ってから右に折れて、RRかpoorlyで本を読んでたから帰ろうと思った。がしかしどちらもお休みだったので、そのまま線路沿いを歩いた。梅ヶ丘に着くかと思っていたら見えてきた駅前の景色は東松原のそれで、あぁそうか、と思いそのままさらに梅ヶ丘に向かった。豪徳寺と梅ヶ丘の間に住んでいたころ何度も歩き自転車で通った懐かしい道だった。梅ヶ丘を通り過ぎて豪徳寺に向かう道の向こうにだんだんと陽が沈んでいった。湿った冷たい空気が頬に染み込んでいってああ冬だなあと思った。だけど歩いていることでお腹のあたりはぽかぽかとあたたかかった。

世田谷のあの辺りの街並みをやっぱりわたしはとても好きで、東京に暮らし続けるかはわからないけど、もし東京のどこかに居を構えることがあるならば世田谷がいいな、ということを思った。通り過ぎる立派な家々を眺めながらこのような暮らしをするためにはどのような仕事をしてどれくらいの収入が必要なのだろうとも思った。

さきさんに、これから先の、何年か後とか、ピン留めしている目標のようなものはあるのかと聞かれた。ピン留めという表現になるほどなと思いながら、わたしは特に具体的なものはないと答えたけれど、音楽と、文章と、それからそれ以外の自分の持っている何かしらの能力を活かしてできるそのときそのときの仕事をして、そういうことを組み合わせて暮らしていけたらいいと思っているというようなことを言った(それはまさにさきさんが今しているような暮らしのことでもあった)。さきさんは文章が書けるひとは本当にすごいと思うと言い、のんちゃんは小説とか書いたらと言った。

日に日に、書きたい気持ちが高まっていて、わたしはきっと書くことでしか体現体験できないことがとてもとてもある気がして、そんなことを考えていたらなんだか涙の出るような想いになるのだった。

わたしを歌わせることができるのはわたししかいないのと同じように、わたしに書かせることができるのはわたしだけなのだった。いや、そんなことはないのかもしれないけど。わからない、少なくともいまは、ということかもしれない。

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