10月8日「悲しいことがあった日は」
とても悲しいことがあり、きのうは一日うわの空だった。仕方がないので一日中食べていた。おととい八百屋さんでなすが安かったので、この間のソイミートの残りで今度は麻婆茄子にした。この間より辛さは控えめにして、お醤油多めでちょっと和風。4人も住んでいるとたくさん作ってもすぐになくなるからいい。初めて一人暮らしをはじめた頃、家族と住んでいるまんまの感覚で何も考えずに料理していたら同じものをずっと食べ続けなくちゃいけなくてあれはけっこうしんどかった。今度引っ越しても気をつけないと同じことになるような気がする。
そうして夕食をお腹いっぱい食べたわけだけれど気が済まずに夜中小さいチョコパンを家族の分もみんな食べたら気持ち悪くなってあとで吐いた。
最近は朝食を食べないのだけど今朝はきのうを引きずってトーストを食べるなど。
かなしみはかなしみのままわたしの中に今日もあり、ちょうどさよこさんと少しやりとりをしていたので長いメッセージを送って話を聞いてもらった。「道端で読んで泣いてしまいました」と返事がきて、そうしてわたしも少し涙が出たけれどやっぱりうまく泣けないのだった。
かなしみは薄れるのだろうか、と考える。去年の末、死ぬんじゃないかと思うくらいかなしいことがあった。死ぬんじゃないかと思うくらい泣いたけれど、わたしは変わらずに生きている。かなしみはどこに行ったのか。誰にも言えずにいたそのことをだけどこの間ようやく、久しぶりに会った地元の友達に話すことが出来、そうしてわたしは次の日瞼がぱんぱんになるほど泣いたのだった。かなしみはなにもひとつも変わらずそこにあった。
毎日まいにちかなしみを感じていると生きるのが大変だから、見えにくくなるようになっているんだろう。だけど、それはずっとある。わたしはかなしみを忘れたくないなと思う。
かなしい、かなしい、かなしい、でも、自らを守ることを選択してくれて本当に良かったなと思う。自分をみんなもっと一番大事にしてほしい。そのことが当たり前であってほしい。自分の人生、自分の命なのだから。
これはなにも知らないわたしの解釈だから、本当のことはわからない。本当のことは本人たちにしかわからない。どうか元気で、心穏やかに笑って過ごせる日々がそこにあることを心から、心から願っている。それぞれの日々を生きるしかない。だけど、生きていればきっとまた会える。生きてさえいれば。
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