1月6日

ようやく休み。なんだかひどく疲れている。ぐったり。

年始は東京駅の百貨店の中にあるショップで短期のバイトをしていた。普段の仕事がはじまるのが7日からでのんびりだったので、それまでのんびりしてもよかったのだけど何をする気も起きなそうだしただ時間を無駄にしてしまいそうな気がしたので働くことにしたのだった。この手のアルバイトは何年か前に一度、そのさらに何年か前に一度したことがあり、どちらも年始のセールで大混雑するショップの売り場に立ったり在庫のあれこれをしたりというもので、今回も同様の内容だったわけだけれど、今年のお正月の百貨店はそれはそれは静かなものだった。もう何年前だろうか、一度目のときは新宿高島屋のラルフローレンの子供服売り場だった、一日中、テレビニュースでしか見たことのなかった押し合いへし合いというような様相で、売り場の服を畳んで綺麗にするというただそれだけがわたしに与えられた主な任務だったけれど、それだけであっという間に一日が過ぎるほどだったのに。

4日間働いたのだけど、とても興味深い体験だった。わたしは普段デパートの服売り場なんてまず行かないし、配属先も自分とは縁がない類のいわゆるキレイめコンサバ、といったタイプのブランドで、こういう素材のこういう造りのこういう衣服がこういう価格帯で売られていて、その売り場にこういうひとたちがこういう関係性の元働いていて、こういうひとたちがそれを買いに来るのだな、ということをたいそう興味深く観察していた。ほとんど社会科見学のようだった。

働いていたのは4人の女性で、うち3人は40代、残りひとりはおそらくわたしより年下でもしかしたら20代かもしれないと思われる、背の高いしゅっとした女の子だった。彼女は本社から来ていると思われ、他のひとから「コーチ」と呼ばれていた。売り場のことや勤務あれこれについて、年上の女性たちに臆することなくサバサバと指示を出し、てきぱきと働いていた。なんていうか、本当に“ちゃんと”していた。こういうひとがきっと大きな会社では重宝され出世などするのだろうなぁと思い関心した。と同時に彼女のモチベーションはいったいどこからどのようにして生まれているのだろうかと心から不思議に思った。あるいはだけどそういうものなのかもしれない、なんていうか、世の中というものは。

最終日の終わり間近になり、お店で一番古株の小柄の女性とすこし身の上話をした。彼女は新卒でアパレルに就職して一度辞め、派遣の事務職に就いていたがリーマンショックで派遣切りにあい、手に職もなく結局アパレルに戻りいまのお店は7年か8年だと言っていた。千葉のなんとかという東京からはだいぶ離れた場所に住んでいて、シングル。贅沢しなければ普通に暮らせるし、本社の派閥争い(やっぱりそういうのがあるらしい)には関わりたくないし、ただ穏やかに細く長く暮らしていければいいというようなことを言っていた。

いろんなひとがいて、いろんな生き方があるなぁということを目にするたびに思う。結局ひとはそのひとの人生を生きるしかない。誰に非難されようと心配されようと助言されようと、誰も責任はとってくれないし、誰も変わってくれない。後悔のないようにしたいなぁと思う。

そんなわけで今日はやっと休み。疲れていた原因は仕事もあろうがたぶんというかほぼ確実に連日の食べ過ぎで体がひーひー言っていたからで、そんなわけでようやくきのうから断食。なんとなく3日くらいやってもいいかも、という雰囲気。明日の朝起きて体と相談して決める。今日はゆっくり起きて、ゆっくり湯船に浸かって本を読み、ストレッチと瞑想をし、その他あれこれ。最近瞑想をするようになった。毎朝の習慣にしたいけどまだときどき忘れる。おととしの秋、島から帰って瞑想をしに10日くらい山籠りをしたことがあり、そのときだいぶ出来るようになったけどやっぱり感覚をすっかり忘ていて、また少しずつ気の向く範囲でやってみようと思っている。それにしても安定の工事の煩さ。今年は終わるのでしょうか。終わって欲しい。

SaveOurSpaceやWeNeedCulture関連のアンケートや署名などあれこれが行われています。あっちでもこっちでもいろいろのアカウントで投稿していて、その作業というのがおそらく性に合っていないらしくひどく磨耗する。ので、ここにまで書く気力がないのですが、ぜひひとりでも多くの方にご協力いただきたく思っています。Twitterなどでぜひ見てください。年始早々の混沌。本当にまったく疲れるね。そうして現実と向き合うこととの折り合いをつけるためにInstagramには黙って穏やかなフィルム写真をアップするなどしているわたしなのだった。

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