6月5日 違うこと

勢いよく閉めたクローゼットの扉に指を挟んでしまい見る見るうちに爪の内側が紫色。じんじん、とても痛い。左手の薬指。

スムージーにシナモンを入れようと瓶を傾けたら大量のそれが投入されてしまい、思わず笑ってしまう。でも飲んでみればちょうどよく美味しい。シナモンはとてもとてもとても好き。なんにでも入れている。ちょうどいいスパイスの瓶をずっと探しているのだけどなかなか気に入るものがないまま今日。

洗濯物は溜めているつもりがなくとも気付くと溜まっていて、本当はきのう洗濯機を回そうと思っていたけどあの天気でさすがにやる気が起きず今朝。洗濯物を干す物干しのピンチの数が少し足りず、やっぱり溜まっていたのだなと思う。

きのうは家を出て傘を開いた瞬間に突風が吹いて傘の骨が2本折れて、あぁこれはもうなんかだめかも、と思いながらもでも歩いて行かなくては仕方がない(家の前の通りはタクシーが全く通らない)ので傘の意味があるのかないのかと誰に問うでもなく問いながら傘を握りしめなんとか橋を渡り切って、だけどその先でどこからかもらってきたであろうビニール傘は敢えなくひっくり返り骨という骨は折れ見るも無残な姿になったのだった(本当になんていうか可哀想だった)。駅まで残り数分の道を傘なしで歩き、だけど風の割には雨量はそれほど多くはなかったので、まぁ濡れたけれど全身ずぶ濡れというほどではなく、そうして駅前のコンビニで傘を買ったけれど、電車を降りる頃には雨はほとんど上がっていたのだった。

昨日はO-EASTでTENDOUJIのライブ。メンバーにはこの間下北でとても久しぶりに会って、久しぶりに夜な夜なわいわい飲んで懐かしくて楽しかった。きのうもライブを見ながらこれまでに見た彼らのいろんなライブやそれに付随する記憶がふーっと浮かんできて、いろんなことを思い出しながら見ていた。TENDOUJIはずっと好きなバンド。メンバーのこともみんなとても好き。

ライブ後、めずらしく挨拶をしてから帰ろうかなと思ったけれど(ライブ後の挨拶はなんとなく苦手だから最近はいつも終わってすぐそれをせずに帰ってしまう)順番待ちの列が長そうだったのでやっぱり待たずに外に出た。お腹が空いていたしお酒が飲みたかったので、行ってみたいと思っていたお店にダメ元で行ってみたけれどやっぱり開いておらず、適当なバーに入って少しだけ飲んで帰った。

何日か前にフィッシュマンズの映画の試写会に呼んでもらい、その日も渋谷に出て、少し早く着いたのでBunkamuraの地下の本屋さんに行った。昔から好きで、近くに行って時間があるときはよく寄る。ゆっくりいろいろな本をぱらぱらとめくって物色したのだけど、手に取った吉本ばななさんの本に「違うことをしないこと」がとても大事だと書かれていた。「合っていることをするよりも違うことをしないことが大事」「それを続けていれば違くないことが返ってくる」なんとなく本自体は今ではないような気がして、その言葉だけを持ち帰ってきたのだけど、ずっと考えている。違うことをしないこと。とてもとてもよくわかると思う。その感覚はこれまでずっと自分の中に持っていたように思う。だけどそうして言葉として受け取ったとき、わたしはこれまでどれだけの「違うこと」をしてきたのだろうかということを初めて考えたのだった。言葉よ、そしてそれによる思考よ。こういうとき本当に参ってしまうわ。

フィッシュマンズの映画はそれはそれは素晴らしく、170分が終わったあとはほとんど放心していた。Tangleに寄ってクリームソーダと春キャベツのパスタをいただいて、早くお酒飲みたいね、と話して家に帰ってからひとりで飲んだ。記憶が定かではないがこの日はけっこう酔っ払った気がする。忘れた。そしてその次の日も帰ってからひとりで飲んで、飲みながらつまみを食べながらデモを録るなどをした。

デモは2曲出来て、ひとまずメンバーに送ったけれど、反応はあったりなかったり、でもこのまま何曲か作れるのではという気がしているので気にせず送り続けようと思っている。もしバンドでやらないなら自分でやればいいのだし。軽い気持ちでおりたい。曲は作れるときに作れるだけ作りたい。ブレーキがかかってしまわないうちに。

本を相変わらず、日々の隙間を埋めるようにして読んでいるのだけど、いつかに買ったまま本棚の中にじっと置かれてた中原中也の詩集をこの数日ぱらぱらと眺めていればなんだかとても響いてくるので、きのうはほろ酔いで家に帰って、帰り道に思い浮かんだ観たい映画があったけれど、もう遅かったし諦めて代わりにその詩集を開いて声に出して何編かを読んでたいそう満足してベッドに入ったのだった。

まだまだ書けるけど、お終い。

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