10月21日

日記、書いて、書き切らないままそのままになって、また書いて、ということを繰り返している。慢性的な不眠により生まれて初めて慢性的な体調不良というものを経験しており、それというのはこんなにも生産効率を下げるものなのかという事実に恐れ慄いている。みんなが「健康第一」という理由がようやくわかった。失くしてみて初めてわかる、というやつですね。まったく参ってしまった。うっすらとした頭痛と吐き気、なにより頭がずっとぼんやりしていて集中力がまるでない。なにをしていてもなにをしているかよくわからないような塩梅。散漫。そしてついに肌まで荒れはじめる始末。しょんぼり。気休めに漢方を呑みはじめた。

きのう久しぶりに会った友達にのんちゃんのnote見てる、文才がすごい、と言われた。あまりSNSをやっている印象もないひとなので見てくれていることにも驚いたし、ただただ書いているだけのこの文章を見て文才、と言われたことにも驚いた。ただただ書いている。最初はコロナ禍でのこの日々を記録しておくために書きはじめたけれど、いまは、なんか、特に目的もなく、本当にただただ吐き出すようにして書いているだけ。誰に見て欲しいとも見て欲しくないとも思わないし、いつか例えばおばあちゃんになって、なにかのときに自分で読み返して「あぁこんな日もあったなぁ」と思い出す材料になればそれはちょっといいなと思うくらい。だけどもしもここに書き溜めたこれらに何らかの意味や価値があるのなら、まとめて印刷をして書籍として綴じたい。という気持ちは当初から薄ぼんやりと持っているのもまた事実で、いや違うな、意味や価値なんてことは本当は思ってない、全然思ってない、ただ言い訳みたいにくっつけただけ。わたしはそのうち本を出したい。エッセイも出したいし、いつかは小説も書きたい、し、たぶんきっと書くだろうと思っている。後者についてはこの1〜2年でそう思うようになった。un/baredのあの短い原稿でもあんなにひーひー言いながらものすごい時間をかけているのに一冊を書くなんてどれだけの労力なのだろうかと考えると気が遠くなるようだけど、いつか、そう遠くないうちに、と思っている。

しかしそれよりなにより、まずは目の前のことをやらなくてはならないんである。原稿と制作。そして列を為している仕事(ありがたいことではある、とても)。と、活動。体よついてきてくれ頼む、という気持ち。30越えるとどうこう、みたいなのずっと無視してきたけれど、これのことなのか、と思わなくもない。また断食しようかな。そしてそろそろ運動を再開しようと目論んでおり、本当は今週一度行ってみるつもりだったけど、スケジュール的にも身体的にも厳しくキャンセルしてしまった。来週行けるか、遅くとも再来週には。明日も本当は地元の友人たちと前々から約束していた食事会があったのだけど、わたしはお休みさせてもらうことにした。気兼ねなく断れる間柄を本当にありがたく思う。やることをさっさと終わらせてそしてちゃんと眠りたい。

こんなことを書いているとどれだけ忙しいんだと思われるかもしれないが、頭を整理しようとやるべきことを紙に書き出してみればそれはとてもあっさりとしてリストなのでありだから実際は別に大したことはないはずなのだけど、でも忙しさというのは単に気持ちが急いている精神的に余裕がないということなのであり、そしてそれは相対的なものではなく絶対的なものなので、そういう意味でわたしはいま現在やっぱり忙しい状態なのだった。周りを見渡せばわたしの数倍もしくは数十倍の量のあれこれを日々こなして生きているひとたちがいくらでもいて、みんなどうしているのだろう、とか思うけれど、それはやっぱり相対ではなく絶対の問題だから他との比較には意味がないのだった。

みんなの未来を選ぶためのチェックリスト、引き続き引き続いていて、ひとまず日々SNSで発信をしています。

きのうの夜からTwitterスペースとインスタライブでそれぞれのトピックについてメンバーが日替わりでゆるく話す企画がスタートしていて、選挙まで毎日配信する予定です。わたしもちらほら参加します。こういう風に、みんなが普通に当たり前に政治について社会について話せるようになるといいなと思う。よかったらぜひご視聴ください。期日前投票も早めに行かなくちゃな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?