2月10日

今日も洗濯をした。今日は服。洗濯物を干すという作業が二十代前半までなぜかとても嫌いだった。でもいまは洗濯ってとても好き。天気がいいと洗うものがなくてもわざわざ洗濯したくなる。逆に天気が悪いといくら洗濯物が溜まっていてもちっともやる気がしない。

ようやくun/baredの原稿に取りかかるものの、ぜんぜん書けない。いつものことだけれど。こういうのってやっぱり日々書いてないとだめなんだなと、前回も同じことを思った気がする。日記を書くことはいい訓練になってはいると思うけれど、でもやっぱり文章の種類が違うから、それはそれの訓練が必要なのだろうと思う。記録ではなく、思考の整理、あとはそれを発表するという視点。意識。

きのうはのんびりのんびり最低限のやることをやり、あとはのんびりのんびりした。行間をたくさんとりながら一日を過ごした。そういう時間の使い方はとても久しぶりだったから、うっかりすると罪悪感を感じそうになったけれど、今日はこれでいいのだ、と度々自分に言い聞かせながら、なるべくぼーっとした。朝、かぼちゃと豆腐とココナッツミルクのケーキをつくり、夜になって玉ねぎとオートミールのクラッカーを作った。どっちもとても美味しかった。クラッカーはなんかしっとりしてしまってクラッカーという感じではなかったけれど。最近しょっぱいおやつの魅力がわかったのはとても大きな収穫。人生において。

今日は朝一にココアのスコーン。きのうからなんかチョコっぽいものが食べたいような気がしていたので。きのうのケーキもクラッカーも残っているけれどそんなことはお構いなしに次々焼く。この間まりちゃんのリクエストでスコーンを作ったとき、ひと様にあげるものだからと思ってそれはそれは真面目にレシピ通り作ったらびっくりするくらいちゃんとしたスコーンが焼けてなんだか拍子抜けするほどで、だから今日も割と真面目に作ったけれど、今日のはなんか焼き過ぎたのかちょっとサクサクになり過ぎた。でも今日のは本当はちょっとズルしちゃったからやっぱりそのちょっとがいけなかったのかもしれない。でもこの間のレシピとは違うレシピをみて作ったから、そのレシピのせいにしたい気持ちも少しある。ぶつぶつ。

こうして日記だったら手を止めることなく無限に書けるのにな。わたしタイピングって得意なんだよね、学生の頃から。けっこう驚かれる。インタビューの文字起こしとか、打ち合わせのメモを取るときとか、あるいはこういう思考のスピードに伴って文字を打つような場合、とても役に経つ。別に練習もしていないけど。気づいたら早い。たくさんエッセイ書いたからな。学生時代。

今日は映画の一本でも観ようと思っていたけれど至らずに終わりそう。でもきのう今日でやろうと思っていたことはやれたし、休息もしっかり取れた。よかった。

来月加計呂麻に帰ることになった。今日チケットを取ろうとしたらpeachの便は大幅に減っていて3月の平日は現状ほぼ予約ができない状況になっていた。仕方がないから行きはJALで行くことになりそう。めっきりLCCしか乗らないのだけど、JALって高いのね。まぁ仕方ない。やっと帰れる。とても楽しみ。ちょっと、だけど、久しぶりだからどきどきする。旅の日程を決めるときはいつもとても迷う。本当にこの日でいいのか、いいのか、いいのか、迷って迷って迷って、えい、っと購入ボタンを押す。明日か明後日にはそれをしないといけない。早く決めよう。

明日はなにを焼こうかなーと考えるけど、ひとまず今日は野菜をたくさん買ってきたのでスープ作ろうかな。トマト味にするか豆乳味にするか。でも野菜を蒸して、生姜のドレッシングでも作って食べるというのも悪くない。

信じられないけれどなんだかもう眠気(いま22:41)。原稿をもう少し粘るという手もあるが、もう寝ちゃうという手もある。

今日『アーモンド』を読み終えた。読み終えてしまえばなんてことない話だったような気もする。あとがきでこの作品の「読みやすさ」ということに触れていて、それが多くの読者を引きつける理由だというようなことが書かれていて、なんだかちょっと白けた気持ちになった。いや違うな、白けたというか、そのとき作品のことを別の視点から見た。読ませるための技術、みたいなこと。あぁだから自分もぐいぐい読んだのか、という、ロジックみたいなもの。

まぁ、そんなのはどうでもいいのだけど、どうでもよくないような気もするのだった。

スープを作ってから寝るか、原稿をもう少し粘ってから寝るか、あるいはこのままもう寝るか、またあるいはギターを弾いてから寝るか。どうでしょうか、わたし。

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