3月3日
アネモネがまだまだずっと綺麗でよく持っているなぁと感心していたけれど、帰ったら少しだけしわしわしはじめていた。次はミモザを買うと決めている。
壁にかけられる素敵な一輪挿しをこの間2つ買った(DOMMUNE配信が終わって帰宅後、寝付けずひとりで明け方までずるずる飲みながら起きていたときに変なスイッチが入ってネットでたくさん買い物をした)のに、それを留めるためのピンがどうして見つからなくて、まぁそんなの買えばいいのだけど、だけど家のどこかにはあるはずなのにおかしいなーと思っているうちに日が経っている。いま欲しいのは本棚と食器棚。本当は飾り棚のような本やちょっとしたものも置ける棚をがんがん壁に打ち付けたいのだけどそうもいきませんね。最近はホチキスで留められるようなのも色々あるみたいであれこれ調べているけどなかなかピンとくるものがない。「これだ」と思うものに出会うのは本当に難しい。それにしてもピンはどこに行ったのか。
今朝はSaveOurSpaceやWeNeedCultureのことについて考えていた。わたしは当たり前だけど誰に頼まれたわけでもなく誰のためとかでもなく自分の意志で自分で選んで活動をしている。一方でもしも誰にも求められておらず必要とされていないのであればいつやめてもいいというかそんなの今すぐやめた方がいいと思っている。でもそれって実際すごく矛盾していない?結局誰かのためとか何かのためとか思ってるってことじゃない?そうだとしたらそれってめちゃくちゃおこがましくない?
ということに気付いてしまい、そうTwitterに書いたけれど少ししてから消した。
そうしてさっき帰ってから思ったのは、結局わたしは感謝されたり褒められたり、たぶんしたいのだな、ということだった。まぁ人間誰しもそういう気持ちはあるものだろうと思うからいちいち自分を責めるまいと思うけれど、でも、うーん。誰に感謝されずとも褒められずとも知られずとも、活動そのものが報われればそれが本当はいちばんいいのだけどね。なんてそれも綺麗ごとかしら。
活動そのものもまたちょっと次の局面に向かうのかもしれなく、自分の意志ももうちょっとはっきりさせる必要があるなぁと思う。やるやらないではなく、自分はこの活動を通してどういうことを表現したり実現したりしたいと思っているかということについて。
3月3日。お雛祭り。お店のある街の商店街には小さなイベントスペースみたいな謎の一角があるのだけど、今日前を通ったら立派なお雛様が飾られており、いずれもフレンチブルドックを連れた4〜5名の奥様方がわらわらと雛壇をバックに犬の写真を撮っていた。
いよいよ3月だからいよいよ春ですね。MONO NO AWAREの新曲を帰り道、橋を渡りながら聴いた。美しいなぁと思った。
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