5月14日 Protest 怒ればいい

Protest Raveを観ながら(聴きながら)これを書いている。

Protest:(特に、不信に対して)(…を)断言する、主張する、(…に)断言する、(…と)断言する、異議を申し立てる、抗議する
https://ejje.weblio.jp/content/protest

うむ。

さっきまで、検察庁法改正案についての新しいニュースをばーっと見ていた。本当に神経が逆立つ。

でもおかしいことはおかしいから、そう思っているから、それでいい。無理に穏やかにいようなんてしなくていい。怒っているときは怒っていい。

この間の #SaveOurLife の会見から、冒頭の篠田ミル君の発言を起こしたものがアップされました。

ミル君の言っていることは最初から最後まで深く頷く以外になく、素晴らしかったのだけど、特に自殺してしまったタイの女性の言葉の引用が胸に刺さった。

今日、妊婦向けの不良布マスクの検品に8億円が費やされるという記事をみた。本当にうんざりする。汚れた布マスク(しかもそれすら未だ満足に配れない)も検察庁法改正もPCR検査の少なさも補償なき自粛も汚すだけ汚して放置されている辺野古の海も原発もオリンピックも、誰がどう考えてもおかしい、みんなわかっている、誰も望んでいないことばかりに税金が垂れ流され、本当に必要なところにはちっとも回ってこない、それなのにそのすべてがまかり通り止めることが出来ない、この構造自体がおかしい。

今日はお好み焼きをした。何日か前、姉が作ってくれたチヂミをみんなで食べていたときに何かの話の流れでわたしが「次はお好み焼きだな」とうっかり言ってしまったばかりに、お好み焼き当番になった。お好み焼きものすごく久しぶりだった。というかよく考えてみたらはじめて作った。外で食べるか、誰かが作ってくれるのを食べるかしかしてこなかった。ひっくり返すのは怖かったから弟にやってもらった(とても上手だった、思い切りが大事、と言っていた。とてもそう思う)。わたしと姉は肉を食べないのでエビとかイカとか、明太チーズとか、キムチとか、納豆とか餅とか、そういうの。長芋を擦って入れた。キャベツを丸々一玉使った。よく食べた。いつだったか、もう何年も前もしかしたら10年とか、姉と弟と三人で家から数駅離れたお好み焼き屋さんに行ったことがあった。線路沿いの昔ながらのあのお店はいまどうしているだろうかと考えた。

この数日なんとなくずるずると暮らしていたら唇の端っこが切れてしまい痛い。糖質ばかりを過度に摂取するとすぐにこうなる。体には嘘がつけない。見逃してもらえない。18日までに治るかな、ビタミン。

SNSその他で苛立ちや不満、いわゆる”ネガティブ”(わたしはこの言葉が好きではない)を書くと、心配されたり「まぁまぁ」となだめるようなことを言われたりする。そのどちらも全く的外れだなと思う。もちろんわたしはまだまだ人間的にも未熟だし知識だって十分ではないだろう。でもわたしなりに物事を見て、調べて、考えて、行動し、そうして自分の日々を築いている。そういう中で、許せないことや受け入れられないものがあり、変えていくべきだ、いきたい、と思う、そういう行動であり、発言である。だから心配もまぁまぁ、も全く必要としていないし、むしろそういう現実を直視しようとしない態度こそがものごとの前進を妨げている大きな要因のひとつなのではないかと思う。

別にこれを書いている今だってまったく冷静だし。その上でこれだけ怒っているのだ。

もっと言葉や表現・発信の術を身につけなくてはいけない。

だけどそもそも怒りという感情をネガティブに捉えるのはどうしてなんだろうな。すごく日本的なことのように思う。アメリカではどうだったっけ。

でも確かに怒りを表現することはある種のハードル、けっこう高い、がある。実際難しい、と思う。でもとても大事なことのはずだ。

わたしはもっと怒っていきたいと思ってる。un/baredとうサイトをはじめた頃、もう我慢したり人の目を気にして黙ったりしないぞ絶対、と心に決めたのだった。強要する気はないが、みんなももっと怒ったらいいと思ってる。それが当たり前の世界になってほしい(誰でもが思ったことを自由に発言できる世界)し、そうすることで動いていくことは絶対にあると思う。少なくとも今は。特に、今は。

今日は嬉しいお誘いの電話をもらった。制作の仕事の話も入ってきたり、こんな中でも日々は絶えず進んでいく。本当に、問われているなぁと思う、自分自身が。いつも。手探りでも積み重ねていくほかない。

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