11月29日

kakimoriの仕事がいよいよ終わろうとしている。全部で6曲作った。最後の一曲をマスタリングしている。2ヶ月くらいで終わるかなとか、はじめは思っていたような気がするけど、結局半年近くかかった。もしかしたらそれ以上かもしれない。締め切りらしい締め切りはないというとても稀有な仕事で、マイペースにやらせてもらえたことがとてもありがたかった。というかそうじゃなかったらやれていなかったような気もする。あと少し。ちょっと感慨がある。

いよいよ11月も過ぎ去ろうとしていてということはつまり今年も残すところあと1ヶ月なのであって、だからどうというわけでもないけれど。十年二十年経ったあとに2020年のことをどんなふうに思い出すだろうか。だけど、震災があったあの年のことをいまどう思い出すかと言われてもなんとなく薄ぼんやりとしているというのが実際で、記憶も感情も薄情なものだから案外そんなものなのかもしれない。でもそうなるのが嫌だからこうして日記をつけている。わけだけど。

きのうふと自分のInstagramの過去の投稿を少し遡って見ていた。わたしは一度アカウントを削除してしまった過去があるので、そんなに古いものはないけれど、去年の島での暮らしやその前にウラジオストクに一人旅に行った記録などが残っていて、それはもちろん覚えているけれど、やっぱりしばらく思い出すことのないまま過ぎていた景色や記憶や感情その他ばかりで、だからわたしはカメラを買ってよかったなととても思ったのだった。だからこの日記もそのうちそういうふうに思えたらいいし、きっと思うだろうと思う。

忘れていくものだからね。でも憶えている。けれど、忘れるのよ、思い出すことを。だから記憶にアクセスするための入り口を作っておくというのは人生において案外有意義なことなのかもしれない。

さよこさんの展示が今日までで、わたしはその様子をSNSで見ていたけれど、さっき「終わりました」と報告の連絡をもらって、メッセージを読んでいたら少し涙が出そうだった。

ものを作るとか表現するとか、そういうことって、それというのは一体全体なんなのだろうかということをずっとずっと考えている。音楽をはじめたときから。ただ寝て起きて食べて働いて生きて死ぬだけでは足りないそれというのは一体なんなのだろうな。

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