5月30日 関係
きのうあるひとにこれまでのすべてをゼロにするような言葉を言われ、ずーんと心が重たかったけれど寝て起きたら割と忘れていて、あぁ大丈夫そうと思ったけれど、さっきやっぱり思い出してしまってずーんとしている。最近は「わたしなりに」という言葉を多用していたけれど、そんなのはやっぱり自分本位の自己満足で、相手にとってはなんの意味のないことなのかもしれない。だとしてもこれまでの“わたしなりの”想いがまったく届いていないのなら、そして彼女の言葉の裏には全然違う想いがあったならそれはとても悲しいことだなと思う。
割り切って付き合うみたいなのはとても苦手で、だったら付き合うのをやめた方がいいと思ってしまう。なんでもかんでもゼロかヒャクかでしか考えられないところがありとても不便。
誰かと向き合うことはエネルギーがいるし何より覚悟が必要で、そのハードルというのはわたしにとってはとても高い。特に仕事でそれをするのはいつも本当に難しくて、自分の作品制作などを別にすればこれまで成功したことはほとんどないように思う。でも別にそこまで向き合わずともたぶんお互いそれなりに気持ち良く仕事をすることはできるのだろうし、たぶんそういうものなのだろうなという気もする。わからないけど。もう少しさらさらと色々なものごとを受け流せたらいいのだけど。でもそれをするにはきのうの一言はなかなかの破壊力なのだった。まぁお互いさまなのだろうとも、思いつつ。憂鬱。
わたしはだからやっぱり自分の仕事はすべて自分の責任や裁量においてやるのが良いのだろうとずっと思ってはいる。少しずつ増えて来ているからひとつひとつ大事に頑張りたい。
きのうは閉店間際に古くからの友達が生まれたて(8ヶ月)の娘を連れて少し顔を出してくれたのでだけどとても元気が出た。むちむちでまつ毛が長く、お父さんとまったく同じ形の耳をしていた。抱っこしたらにこにこと笑い、あーとかうーとか声も聴かせてくれて、とてもとても可愛くて涙が出そうだった。眠れない眠れないと書いているのを見てハーブティーやバスソルトなど眠れるグッズを買ってきてくれた。持つべきものは友。だけどその彼とだって一度大げんかをして何年も音信不通になったこともあったのだ。そう思えばいまの関係は“向き合った”ことの結果なのかもしれないし。いやでもそうでもないか。ほどよい関係でお互い付き合える距離感を見つけたということなのかもしれない。何でもかんでも向き合おう向き合おうするから苦しくなるのかもしれない。ほど良い距離感で付き合うことは逃げていることではまったくないものね。でもそれだって信頼関係の上に成り立っているものだしな、そしてそれは一朝一夕でできるようなことではないしなぁ。もっと長い目で見て、穏やかに付き合っていく方法をのんびり探せばいいのかな。焦って決めようとしないで。
一時支援金申請のための書類を用意しているが、自分の確定申告のいい加減さに我ながら驚愕している。ほとんど青ざめて絶望している。それくらいひどい。今年からついに青にしたし次からは真面目にやろう、まじで。
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