7月19日

おはよう。7月20日。天気がいい。姉が帰ってきた。早朝に大きな音がして目が覚めた。まだ口をきいていない。面倒くさい。

きのうはお店にアチコさんが来てくれて、仕事が終わったあと少し飲みに行った。アチコさんはわたしを全力で肯定してくれる数少ないひと(もうひとりはUHNELLYSのキムさん)で、会うといつもとても元気が出る、HPが300くらい上がる(ゲームの類をほとんどしたことがない人生なのでHPの相場が本当はまったくわからない)。いろんな話をしてめきめき元気になり帰宅した。お店でマスクを床に落としてしまったのでアチコさんがくれた黒いマスクをして帰ってきた。

きのうはこれを読んだ。

探検家・文筆家の角幡唯介さんがとあるインタビューで若いインタビュアーに「あなたの探検や本や社会の役に立ってないと言われることはないですか」との質問をされて絶句した、というツイートが話題になったことを受けてのインタビュー。ちょうど今年の2月に加計呂麻に帰ったときに泊めてもらっていた友人の部屋に角幡さんの『極夜行』があり、かじり読みをしていた。

角幡さんは、世の中=システムに対するアンチテーゼとして探検であり執筆をしていると、むしろ役になんて立ってたまるか、と。ただ後半、内面を掘り下げてこそ他者との関係が生まれそれを築くことができる、つまり内在を追求してこそ初めて“役に立つ”ことができる、そういうようなことを言っていて、ずいぶんと考え込んでしまった。というか絶賛考え中。

ついこの間un/baredで「役に立つ」について書いたばかりだった。わたしにとっての役に立つというのは「自分の持ちものをどう使って世の中=世界と関わって生きていくか」ということで、それは現時点でのわたしなりの解だった。だけどこうも正面から役に立ちたくない、それだけが価値ではない、と言われるとなんかちゃぶ台を思いっきりひっくり返されたような気持ち。もう一度考える。

いろんな生き方がある。自分がどうしたいかしか結局はない。なにが大切で、なにを選べば自分が自分をよしと思えるか。わたしはそろそろ答えを出したい。次に続いていく道すじ。

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