8月20日

心が散り散りのまま日々を過ごしている。自分がどんどん散漫になっているのを感じる。なんとない焦りが、じわじわ。

フジロック、いよいよ今日から。ずっと考えていた。どうすることが正しいのかとか、どうすべきなのか、とか。いろんな立場のいろんなひとの言葉を読んだ。現場で関わるひとたちはみな切実で誠実だ。苦しいなぁと思う。それぞれの想いがあって、それぞれに見ている見えている景色があって、それをひとつの角度から切り取って「正しい」「すべき」なんていう風にはできないのではないか、してはいけないのではないか。誰の想いも報われてほしい。

オリンピックに200%反対していた自分がこれを書くことは矛盾を責められることだろうかと考える。でもそうではないと思った。人流を理由にイベントに対して制限を設けている国がいま考えうる最大級の人流を生み出すであろうオリンピックを強行したことに対して「フェスはだめなのにオリンピックはいいのか」という問いはまったく真っ当であるが、なんの補償もない中、関わるひとと文化を守り、続けていくために開催する国内の民間イベントに対して、パンデミック下において医療を圧迫し多額の税金を投入し海外から数万人を招致して行われたそれを引き合いに出して「オリンピックには反対したのに」と異を唱えられる筋合いはないわ。オリンピックがいいならこっちだっていいよね、ということでももちろんない。まったく関係のない、前提も性質も異なるふたつを、「大きな行事」「人流が生まれる」ということだけによって比較するのはとても乱暴なことだ。

もうすぐ11時。わたしもちらほら配信観ようかなと思っている。友人たちも出る。みんなの想いが報われて欲しい。とにかく3日間、無事に終わって欲しい。祈るような気持ち。そしてこんな状況にたくさんのひとを追いやった国をわたしは恨む。心から恨む。そしてその責任をこれからも問い続ける。

きのうのこととかおとといのこととか、最近考えていることとか、聴いているものとか買った本のこととかきのう見た映画のこととか大石さんのこととか友人に言われた言葉とか飲んだワインのこととかズッキーニのこととか、たくさん書こうと思っていたけれど、なんかそんな気持ちでもなくなってしまった。

本当はいつだって書きたいことは山ほどあって、ほんの一部しか残しておくことができない。たまたまPCやスマホの画面に向き合ったときに出てくるものだけ。一日に何回も書いてみるという手もあるな。本当なら今日から一週間島に行っているはずだった。予定はちらほら入ったけれど、納品もひとつ終わったし少しのんびりできそうなのだ。時間があるときにいろいろできることをやらなくては。最近本当によく寝てしまうのだけど、まぁそれもいいのだけど、でも寝てばかりいる場合ではない。曲を作るモードにまたえいっと入っていきたい気持ち。un/baredは頑張りたいと意気込んでいろいろやりたいことを妄想していたけれど一気にブレーキをかけられてしまった。いろいろ、簡単には進ませてもらえないのだわ。人生。

きのう久しぶりに八百屋さんに行って野菜をいろいろ買ってきたけどきのうはまったく料理する気が起きなかった。今日はどうか。またたくさん本を買ってきたから今日は読書に精を出す。風が吹いてる。

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