11月19日
交通事故に遭った。夢の中で。母が運転をしていて、わたしは助手席に座っていた。車はわたしが子供のころ家族でいつも乗っていたような大きなワゴン車だった。山奥のような、木々の生茂る砂利道、少し下り、小川に跨がる短い丸太の橋を渡った先で、何かにぶつかったのか、滑ったのか、事故に遭った。それは凄惨な事故だったけれど、母もわたしも元気で、近くにいた父もやってきて、みんなにこにこ笑っていた。わたしも笑っていた。だけどわたしはすぐに手術を必要としていて、目と鼻の先にある古民家のような病院までとことこ歩いていくのだけど、病室はどこもいっぱいで、若い女性の看護師たちがきゃぴきゃぴとはしゃいでいるのだった。
又吉直樹さんの『東京百景』というエッセイ集を読んだ。とてもとてもなんでもなく、これだけなんでもないものを書けるってすごいなと思った、そのなんでもなさがわたしはとても好きだと思ったし、それに救われるような気持ちもした。そしてそのなんでもなさの中に時折り織り込まれるなんでもなくなさに胸を打たれた。
仕事がなく沼のような日々を過ごしていたころに、街中で同じ木の実が落ちるのを見ていた女性に声をかけ、声をかけたはいいがお金がなく女性にコーヒーを奢ってもらい喫茶店で話す、そして連絡先を交換し、付き合うようになった、それはまさに彼の劇場のふたりと同じだった(わたしは映画しか観ていない)。そのうち女性が東京にいられなくなり、地元へ帰る、それも劇場だった。自分の体験をそのような形で昇華/消化するというのは、どんな気持ちのするものなのだろうか。本屋さんに行き、火花か劇場か、しばらく迷って火花をレジに持って行った。
西加奈子の(又吉さんにはさんを付けたくなるのに西加奈子は西加奈子、で完結する、そういうことってあるけどなぜなのかと考えるともなくぼんやり)『夜が明ける』も読んだ。一気に読んだ。本当にすごいものを書くひとだなと思う。わたしはアキのような余生を送りたい、と少し思った。サーモンを捌くをの後ろ姿に再び出逢ったところで少し泣いた。
小学生のときだったか、本を読みながら初めて涙が出たとき、「文章を読んで涙が出ることがあるのだ」ということにとても驚き、その事実そのものに感動したのを覚えている。だけど読んでいた本がなんだったかは忘れてしまった。
今年が終わってしまう。デモが2曲できた。あと2曲、年内に、どうにか。
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