11月15日 面倒くさい

最近沖縄へ旅立った加藤夫妻から自転車をもらったので行動範囲が広がって快適。ちょっとギアの具合が良くなかったので自転車屋へ持っていけば、これは部品だけの交換は出来ないから全取っ替えか応急的な処置でやり過ごすしかないというようなことを言われなにもしてもらえなかった、はぁわかりました、と言ってとりあえず空気を入れてもらうと車輪の錆がひどいからいつ骨が折れるかわからない、相当気をつけて乗らないと危ないというので対策できることはあるのかと尋ねると、うーん錆がどれくらい浸食しているかわからないから何とも言えない、一本ずつ折れてくれればまだいいんだけど一気に折れることがあるからね、後ろの車輪ならちょっと転ぶくらいで済むんだけど前の車輪だと一気に前転するんだよね、いまは昔と違って道路が良くなっているからスピード出してないつもりでも勝手にスピード出ちゃうんだよね、車輪交換もできるけど割に合わないよ、なるべくゆっくり走って段差とか坂道とか気をつけてね、なるべく重心は後ろにかけてね、半年先も今日言ったこと頭に留めておいてね、とメガネを掛けころんとした体型の男性は延々喋り続けたのだった。

30分くらい漕ごうかと思っていたけれど、なんかあまりそんな気分でもなくなって予定より手前の駅で電車に乗り換えた。甲州街道の標識が見えてランタンさんの曲が頭に浮かんでちょっと口ずさむなど。

ランタンパレードのライブをもう何年も前、晴れ豆に観に行ったことがある。物販がなかったので、終演後清水さんに「CDはありますか」と声をかけたら「今日仕事からそのまま来たからないんですよ、その辺で売ってるんでよかったら」というようなことを言われ、ライブってこんな感じで来てもいいんだ、と思った、そのことを何年か後に対バンしたときにご本人に話したら「俺そんなこと言いました?」と驚いていた。

最近更新が滞っていたのはなぜかといえば、知人がnoteに投稿した記事を読者の指摘を受け他メディアに転載したということがあったからで、それは何かといえばつまりnoteという媒体がこれまでに起こしてきた問題あれこれがきちんと解決されないまま有耶無耶にされてきたという事実を受けてのことで、noteのあれこれはニュースなどを何となく見ていた、けれどその頃わたしはまだnoteを使っていなくて、使い始めたころにはそんなことはすっかり忘れていて、その知人の転載をきっかけにあぁそういえばそんなことあったなと思い出し、だけど具体的に何が起き何が問題だったのか改めて確認し自分がどう思うか考察するには至っていない。けれど、noteという媒体によって踏みつけられたひとたちがいたらしいことはどうやら確かで、そう思うとそれを知らん顔して使い続けるということはその踏みつけに加担することに他ならず、それはさまざまな搾取や破壊の背景を知りながらファストファッションを買い動物性タンパク質を摂取しプラスチックを使い続けることとまったく一緒ではないかと、思い、そうであればわたしはもうnoteは使えないなぁと思ったからなのだった。

なるべく誰のことも踏みつけないように、そして踏みつける行為やシステムに加担しないように気をつけて生きているつもりだったけれど、こんな、メディアひとつ使うだけで誰かを踏みつけているのだ、踏みつけていたのだ、という事実にまぁまぁ呆然とし打ちのめされた。

めんどくせえ

はっきり言って面倒くさい。めちゃくちゃ面倒くさい。知らんわ、と思った。思っている。

場所をどこか別の場所に移すのはまぁいいとしてだけどあまり良さそうな場所がなく、the letterは最近長田杏奈さんのニュースレターを購読し始めたこともあり面白いなと思うけれど、でも別にわたしは勝手に書いて勝手にその辺に置いておきたいだけで、わざわざ誰かにそれを送りつけたいわけじゃない、そこに能動性は持たせたくない。そう思うといよいよ自分のサイトをちゃんと作り、そこに載せていくのが良さそうな気がしているけれど、サイトなんて一朝一夕でできるものでもなく、何だか本当にもう億劫になってしまうのだった。

加藤家はわたしがずっと欲しいと思っていたいまはもう生産されていないナショナルのコロンとした可愛い冷蔵庫を使っていて、それも手放すというのですかさず手を挙げて、だから我が家の冷蔵庫は新しく古い冷蔵庫に変わった。少し小さくなり、前よりも頻繁にぶいーんという小さな音がよく鳴っている。扉を開ける度に加藤家のにおいがしてわたしはあぁ、と思う。

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