10月24日

きのうは結局現場には行かれず、お店番をしながら小さな音で配信を観ていた。手話の通訳さんは母と、以前WeNeedCultureの配信でお世話になった団体の紹介で来て下さった方のふたりで、スタートは母からで、境野さんのスピーチの力強さもさることながら、画面に映る母の姿を観ていたそれだけで胸がいっぱいになってなんだかずっと泣きそうだったのだった。母はとてもとてもかっこよくて、娘はとてもとても誇らしい気持ちだった。

バタバタの中現場では細やかなケアが出来ない部分もあり、わたしももっと色々気を使えればよかったととても反省して、今日は改めて母に長いメッセージを送るなどした。母は最近事務方に比重がよっていて現場は久しぶりだったこともあり思うように通訳ができなかったようで、彼女も彼女でいろいろ思うことがあったようだった。

わたしは、自分の気遣いの足りなさもそうだけれど、自分が日頃いかに自分の感覚を中心に物事を捉え考えているか、ということに気づかされた。「聴こえる」「見える」ことを当たり前だと思っている、その基準で物事を判断していた。もっともっと想像力を働かせなくては、と思う一方でだけど、知らなければ想像することもできない、ということも思った。手話通訳や点字ブロックを必要としているひとたちの存在を知り、彼らにとってそれらがどういった役割を果たすのか、そういうことを知らなければ見えてこない気づけないことがたくさんある。だからこそ、多様なわたしたちが多様なまま当たり前にいられる世界が必要なのだということを思った。

日々勉強。まだまだ、ずっと勉強。

何日か前、友達から遅ればせの誕生日プレゼントを送ったよ、と連絡をもらっていて今日帰るとポストに小さく膨らんだ封筒が届いており、開けてみるとアロマオイルの瓶が入っていた。眠れない眠れないと言っていたわたしに、眠れる香りを送ってくれた、彼女のその優しさだけでよく眠れそう。

とか言ってだけどここ数日いきなり食欲が爆発していて、今日は帰りにスーパーで揚げ物や炭水化物を買い帰宅後21時を過ぎてからぱくぱくと平らげるという奇行を成し遂げてしまったのでまた今日も眠れないのかもしれない。肌荒れはあまりよくなる兆しなし。憂鬱。

ちまちまちまちま、仕事などをしており、わたしは大事なことがなにもひとつもできていない。こうなってくるとなんのために生きてるのかよくわからなくなる。こんな風にしてひとは日々に流され飲み込まれていくのだな、ということを考えながら今日は家のドアの鍵穴に鍵を差し込んだのだった。

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