6月1日 混沌
今日はなんだかアテられてしまい、全然だめだった。
情報量が多すぎる上に、なにが本当かわからない。
「混沌」
こんな時代を経験する日が来るなんて。
いま見ているすべてをわたしはどんな風に変換していくのだろうか
言葉か音楽かあるいは人生そのものか
日本でもアメリカでも香港でも、みんな当たり前のことしか言ってない。当たり前の権利を主張しているだけだ。その実現は本当にこんなにも難しいことなんだろうか。わたしにはわからない。
ひとは誰ひとりとして生まれてくる場所もときも環境も肌の色も、なにひとつ選べないのに。その圧倒的平等から生み出されるこの圧倒的不平等、その皮肉、矛盾。
しんどいな
言葉そのものも言葉にするエネルギーも足りていないと感じるので、今日はこれを貼り付けておきます。
どうかみんな安らかに。
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