11月28日

いい天気。布団を干した。南側の窓辺に。でも仕事だからほんの数時間だけ。

着たい服がまるでなく、結局パジャマみたいな格好で家を出てきた。なにを着ても許される仕事で良かった。

さよこさんの作ってくれた大根のお味噌汁が美味しかったのでこの間わたしも八百屋さんで大根を買ってきて、きのうじゃがいもとしいたけと一緒にお味噌汁にした。生姜も入れた。遅めのお昼にそれを食べ、作業をしていたのだけどなかなかうまく行かずいつものようにすぐにキッチンに逃げ、食べたばかりなのに残りの大根を唐揚げにしようと思い立ち、下味をつけて衣をつけて揚げた。が笑えるくらい盛大に失敗した。さくさくの竜田揚げみたいにしたかったのに、大根餅みたいになった。わたしはいつも作ったことのない料理でもノリというか雰囲気で作ってしまうのでときどきこういうことがある。というかフライパンがもう禿げはげで、なにをしてもくっついてしまうので新しいのを買わないといけない。テフロンのは結局何年かで買い替えなくちゃいけないから、少し高くてもちゃんとした鉄のフライパンが欲しい。おばあちゃんになっても一生使えるやつ。あとストウブ鍋が欲しい。来月になったら買う。黒かグレーか迷う。

絶望についてこの数日考えていた。この間心優しいひとがわたしのそれについて言及してくれた。わたしは絶望しているのだろうか。そうとも言える、ような気もするけどでもなんていうかわたし如きが絶望なんてそうそうしていいものじゃないような気がする。わたしのはせいぜい落胆がいいところで、絶望にたどり着くにはまだまだまだ、通るべき道は果てしなくあるように思われる。

思、われる、

問題は自分がそこまでやるつもりがあるかということよね。そのことにおいて、ということだけど。

日記がすっかり日課になっているので頭の中の言語がほぼ日記と化している。なんていうか奇妙でわりと滑稽。最近は頭の中がますますうるさくいちいちあれこれ口を出してくるので黙らせるのにひと苦労。日記にいろいろなことを書くのにもだいぶ慣れてきてというか慣れすぎてあれこれ書き過ぎてしまうのではないかと少し不安になり始めた近頃。でもあれこれは書けど、なんでもを書いているわけでは決してない、当たり前だけど。でも瀬戸内寂聴は江國香織に書くことはストリップだと言ったし、佐野洋子は自身の排泄物の観察を延々と書いたりしているわけで。まだまだまだだわ。

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