3月9日
悲しいことはずっとあり続けて、苦しいも寂しいもずっと、ずーーーっと続いていく。それらのわずかな合間を縫って、小さな小さな光の点と点をどうにか繋いで死ぬまでやり過ごすだけ。
久しぶりの子から連絡があり、川沿いのカフェでコーヒーを飲み、少し散歩しようかと外に出れば気のいいお父さんたちが輪になって酒を飲んでおり、手招きをするので一杯ご馳走になった。毎日いるからいつでもおいでと言ってくれた。
下北で約束があったので早々に失礼して赤らんだ顔で電車に乗り込み、もう一杯コーヒー。ひとしきり話してから別れ、わたしはもう少しぶらぶらしたい気持ちでサーカスまで歩いてみれば灯りがついておりほとんど駆け寄るように扉に手を掛けたけれど鍵がかかっていて中には誰もいなかった。
ルルドに行って神様の前でひとりで立っていたらあとからあとから涙が出てきてひとりで声を出して泣いた。5分だったかもしれないし10分だったかもしれない。そうして落ち着いてからもう一度サーカスを覗いたけれどやっぱり誰もいなくて、仕方がないのでゴルフマンションの屋上に登って夜の下北の街を眺めながらまた泣いた。あとからあとから溢れてくるその正体は、どうしたらいいかわからずとりあえず保留しておこうと箱にしまっていた悲しみだった。あぁやっぱりわたしはちゃんと悲しかったのだなと思った。
仕方がないとは思わない。ただ、どうしようもないと、思う。
悲しいことはずっとある。日々、ますますある。だけど涙が出ることはいいことだなと思う。出ないよりもよっぽどいい。まだ生きている、と感じる。
そうして元気出そうと思ってラストオーダー間近のCCCに駆け込んで美味しいパスタを食べて、ちゃんとちょっと元気になって、いま電車。お腹はち切れそう。美味しかった。
悲しみはあり続けて、孤独もあり続けて、そうして日々は過ぎ去り続ける。ただそれだけ。ずーっと、ただそれだけ。
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