11月24日

風がとても強い。いい天気。今日は休みだからベッドの中でいつもより長くうだうだした。今日は夢を見なかった。

又吉直樹の火花を読み終えてからきのうはベッドに入った。「みんなどう思った?」を聞きたくなった。というのは、思っていたより難しかったからだった。これみんなすらすら読んだ?本当に?という感じ。もちろんみんながすらすら読んだかなんてわたしは知らないけれど。わたしだってすらすら読んだことには違いないのだけれど。そして「多くのひとに読まれている本」だから「読みやすい」に違いないと勝手に想定していた自分を反省した。劇場も人間も、順番に読もうと思った。エッセイも東京百景以外にも出ているなら買おう。今日は下北に出るからB&Bに行こう。ハン・ガンも買いたい。

わたしの本棚には小説でもエッセイでもない本たちが列をなしてページをめくられるのを待っているが、結局わたしはそれらをすっ飛ばして小説とエッセイをせっせと読み進めてしまうのだった。けっこう努力をしたけれど結局そうなってしまうからどうやらもう仕方がないのらしい。それにしてもいい天気。

11月も間もなく終わる、ということは今年も間もなく終わる、ということですね。そうかあ。今年一年、なにをしていたのだろう、と思う。よくわからん。何したっけ。今年と去年がごっちゃになっている。主にサーカスのことくらいしか思い浮かばない。

何日か前、懐かしい友達がお店に来てくれた。わたしたちがCIRCUS FESをはじめたころとても仲良くいつも遊んでいた友達で、いまは西武線沿いの小さな街で古着屋をやっている。買い物をしてくれたあと少し話をして、なんとなく思い出話みたいになって、彼は「あれが俺の音楽の青春やった」と言った。青春。音楽の。確かにそうだったのかもしれない。わたしにとっても、きっと根津にとっても、あのころいつも遊んでいたみんなにとってそうだったのではないか、という気がした。そういう時期、そういう“時代”みたいなものはきっとどんなミュージシャンにとっても、あるいは他の仕事をしているひとにとってもあるのではないか。しょっちゅう朝まで飲んで、セッションしたり、しなかったりして、ただひたすらにばかで純粋で一生懸命で、ただただ楽しかった。みんなそれぞれに、それぞれの場所で少しずつ大人になった。

同じ日の夜、久しぶりに織愛に会った。彼女はわたしのひとつかふたつか、もしかしたらもっと歳が下で、ずっと妹みたいに思っているのだけど、久しぶりに会ってゆっくり話しをすればすっかり彼女もなんだか逞しく、つまり大人になっていて、そりゃそうか、という気持ちになった。それこそ織愛や竹ちゃんとも青春みたいな時間を過ごした。ライブをしては朝まで飲んで、深夜にギターを背負ったふたりがいきなりうちにやってきたこともあった。今度久しぶりにみんなで会おう、年末に鍋しよう、なんてことを話した。

考えてみれば火花もそういう時代の物語だ。

変わっていくのは間違いがなく、抗いようもなく、だけど残るものも確かにあって、わたしはそういうものたちのことをいつも思っている。

noteを結局ずるずる使い続けているが、それも年内までにしようと心に決める朝。皆さま良い一日を。

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