8月27日
祖母がギックリ腰になってしまい、きのうは母が様子を見に行くというので急遽わたしも一緒について行くことにした。祖母の家には最近いつも車で行っていたのだけど、久しぶりに電車を乗り継いで。1時間半くらいだろうか。ちょうどお昼頃に家を出たのでむせ返るような暑さだった。
年明けに会ったぶりだったのでわたしが来たことにひどく喜んでいた。何かに掴まらないと立ったり歩いたり出来ないようでちょっと大変そうだった。元気は元気だったけれど。めずらしくわたしの音楽を聴きたいと言い、以前母が渡してくれていたと思われるわたしのアルバムを棚から出してCDプレイヤーで聴きながらテーブルに向かい合って座って話した。リビングの真ん中にはソファの代わりに大きな電動ベッドが入っていた。
母がこの間送ったわたしのインタビュー記事の影響か、初めて曲作りや制作の仕事などについても聞かれた。これまでは「英語の曲は聴いてもわからない」「日本語で書いてくれないと」とか言われていたので少し面食らった。なるべく誠実に答えたつもりだけど、どうだったかな。途中ケアマネさんなる人たち(要支援、要介護の人たちの生活を補助するヘルパーさん)が順番に来て、追加で手すりを設置していったり書類をあれこれしたりしていた。初めに来た男性はとても感じが良かったけれど、次に来た中年の女性は少し横柄というか上から目線でえらそうだった。帰り道に母とその話をすると「ケアマネさんは“やってあげてる”という意識のひとが多い」と言っていた。
例のごとく際限なく続く祖母のマシンガントークの隙間に別れの挨拶をし、お腹が空いていたのでわたしがお寿司を食べたいと言い(またお寿司)駅前の小さなお寿司屋さんに入った。お店に入った瞬間の雰囲気からしてあぁこれは、と思った予感は残念ながら的中し、シャリのお米の粒が潰れていて正直とてもイマイチだった。玉子は甘くて美味しかった。あとお椀。にぎり並1000円、上1500円、特上2500円、と書かれた札の横にとろたく巻1500円、ねぎとろ巻1500円という札がかかっていてとても不思議に思った。わたしたちの後に来た常連と思しき男性はほろ酔いセットというのを頼んでいて、にぎりに刺身に煮物お漬物お椀、それに生ビールがついて1890円という値段だった。わたしと母は上のにぎりを食べた。量が多かったので細巻きをいくつか母に食べてもらった。
仕事帰りの人たちと時間が重なり、帰りの電車は少し混んでいた。東京駅を久しぶりに通った。
祖母がわたしたちに話して聞かせたいろいろな出来事の中に、最近あった不誠実な人たちの対応に纏わるものがいくつかあった。一人暮らしの老人がどこか邪魔もの扱いされてしまうようなそういう雰囲気をわたしもときどき何となく感じることがあるけれど、そうして直に話を聞くとやっぱり悲しくなりそして憤りも感じるのだった。
誰もが生きやすい世の中というのはそんなに難しいことなのだろうか、本当に。フィンランドの働き方改革、ドイツのベーシックインカムの試験導入。かたや社会保障の予算を削りまくっている日本。それにしても大阪なおみさんやNBA選手たちのボイコットにやんややんや言う人たちの思考回路とは。帰りの電車で読んでいたナイジェリア人作家が描く様々な差別とそれによる苦労の中生きる人々の姿がやけに重みを持って胸の奥まで入り込んでくるのだった。
今日も日差しが強い。きのうはほとんど何も出来なかったので今日は一日集中して仕事も勉強も進めたい。今月ももう終わりだ。
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