「動物磁気のゆくえ」 江口重幸

 フランスの心理学者・精神科医のピエール・ジャネのファンな私は、長らく、〈日本語でジャネに関連する本を読む⇒ジャネ愛が高まって本人の著作(フランス語)が読みたくなる⇒歯が立たないので基本に戻ってフランス語の勉強を始める⇒面倒くさくなってやめる⇒ジャネそのものからもしばらく離れる〉。そうするうち、忘れた頃にまた波が来て、〈日本語で~〉から循環を始める、ということを数か月~数年ごとに繰り返してきました。さすがにそろそろ、「この、途中でフランス語の勉強を始めるのは一種の逃げだな」と自覚しましたので、次のターンが来たときにはじっくりジャネに留まろう、と決心しています。
 それはともかく、いまは〈日本語でジャネに関連する本を読む〉の時期にあるようで、古い雑誌を見つけました。岩波書店の「思想」2013年4月号。通しナンバーでいうと1068号。この中の江口重幸さんの論文「動物磁気のゆくえ」にしびれました。大学図書館の寒々しい地下書庫で一人で読んでいてじんわりきた部分を、少し長いですが引用しておきます。

 力動精神医学のさまざまな潮流の興隆と衰退を目撃したジャネは、それまでの多くの学派が、それ以前の理論を凌駕する地点に立ち、自らが科学の最終段階に登りつめたとする議論をくり返し行ってきたことに気づいたに違いない。ジャネは、心理学的治療をくまなく再検討することで、こうした論理のいわば「外側」に出ることが可能になったのであろう。さまざまな治療があり、それらはその時代や場所で十分機能していたであろうことを認めながら、『心理学的医学』の中では、それらが同様に奇妙な経過をたどったことを、こう述べているのである。


 いっときに登場し、あたかも唯一の全能で有効な治療法であるかのごとくあらわれ、疫病のように世に蔓延し、そして物笑いの種となって忘れ去られてしまう。これが動物磁気、催眠術、金属療法、その他の治療法の運命であったし、精神分析の運命であるかもしれない。(引用終わり)


 (…)力動精神医学の伏流をなす二つの流れの交錯の果ての、まったく新たな啓蒙主義的・合理的・向日的地平に、ジャネは初めて立ちえたのではないか。


 はああああ……そうですよねぇ……。私もまさにそう思います。
 私にとってジャネが別格に好きなのは、具体的な技法・理論を編み出したからというより、診察の現場で自分が見たものを観察し・考察し・推測し、さらにそれを俯瞰的に反省する能力が圧倒的に高く・鋭く・誠実だと感じるからで、その能力が磨かれた理由はたぶん、江口さんが書かれているように、それまでの心理学的治療を過去にさかのぼって丁寧に検討したことがおありだからだと思います。

 整体屋には、精神科・心理療法家の理論・技法が直接応用できる場面はほとんどありません。ですが、この観察・考察・推測の仕方はものすごく勉強になります。そしてジャネのおもしろいところは、以前考えていた推測と、いま信じている推測とを両方紹介してくれる記述がちょいちょい出てくることで、でもそれをいま読んでみると、必ずしも〈新しいほうにより説得力がある〉とは限らないのがまた愉しい。なんで前の仮説は捨てたのかな……が訊いてみたい。

 いまはまだされていないようですが、いつかはこの論文、江口さんの著作集に収録されるのでしょうか。してほしいなあと思います。この文章が、雑誌でしか読めないままでいるのはあまりにももったいない。手が届きやすい形で残してほしいです。



 「動物磁気のゆくえ ――力動精神医学における啓蒙主義的潮流の盛衰」
 江口重幸
 「思想」2013年第4号(第1068号)所収
 岩波書店

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