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表現なのかな…?

私の書いているこれってなんだろう。

ハッシュタグに日記とつけているけど、日記ってこういうことなんだろうか。きっと、その日にあった出来事を書くのだから、日記と呼ぶのであって、その日にないことを書いているから日記じゃない。最近投稿しているnoteは2、3日前から2ヶ月前くらいの間にあったことなんかを書いているから日記とは呼べない気がするので、ハッシュタグをつけることすら抵抗を感じるようになってきた。

エッセイって言われたことはあるけど、本で読んだエッセイはもっと自分の内側を曝け出しているように感じた。自分の書いているものは、やっぱり自分の内を曝け出しきれてはいないし、読んでもらうことを意識している文章のように思う。

noteには書けないことがたくさんある。
自分の外に出さなければ、無かったことにならないかなって思うから書かないし、誰にも言わない。私が忘れてしまうのを待つしかない。幸いなことに私は忘れっぽい。それだけが救いだ。

ところで、言わないでおくことって騙すことになるんだろうか。嘘はついてないけど、盛ってもいないけど。

例えば、あんまり書きたくないけど、私には教養がない。

高校に進学してから、普通科目の勉強はほとんどしていない。
数学は数Iまでしかとってないし、地理や公民、物理や地学、生物、古文もとってない。最終学歴は学士だけど、中卒と大して変わらない。正しい論文の書き方も知らないのだから。

そのうえ、引け目を感じているのに、補おうとしていない。

だから、もしかしたら気付かれていないと思っているのは自分だけで、文章に滲み出ちゃってるのかもしれない。けれど、私が言葉にしていないから、学がないということは伏せていることになる。自分だけが隠している気になって。たまに賢そうだなと思うことを書いて誤魔化して。でも見てる人は気づいてるはず。

それって、とても哀れなことのように思えてならない。

大学に入りたてのとき、先生が「君たちは教養がないね」とよく言っていたが、本当にそう思う。

ただ見たものを描くのと、知った上で描くのと、天と地ほどの差がある。知らなくてもいいことなんてないのだ。

それを知っているのに、知識不足を埋めようとしないのは愚かなことだ。

何から始めていけばいいんだろうな。
近いところからかな。
やるかな、私。


今日は本当に眠くて、書いている間に2回も寝落ちしちゃったし、校正も推敲もしていないので酷い文章になっているだろうが、たまにはこんな乱雑な文章でもいいんじゃないかな。とりあえず疲れてるってことが表せたのなら、この千文字は無駄にならないはずだから。

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