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「檻」を手放して、見えてくるモノ。

最近まで自分の作った、あまりに大きく分厚い「檻」から出られなくなっていた。

「檻」に入っている認識はなかったのだけど、どうやらどんどん「檻」に入ってしまい、遂には出口が見えないほど、強くて頑丈な「檻」を作っていた。

頑丈な「檻」は厄介である。
頑丈な「檻」があると、守ってくれるけど、中々外に出られなくなる。

「檻」って何かというと、「自分への執着」なのだと思う。
私のつくる「檻」の要素としては「自信のなさ」から作られるモノだった。

自信がない人がどんな檻を作るかというと、他者から嫌われないような「檻」を作る。
相手の意見に徹底的に合わせていき、摩擦を起こさないコミュニケーションを取っていく。摩擦を起こさないので、一般的には「優しい」という印象を持たれたりする。

私は昔から「優しい」と言われることが多かったのだけど、自分を「優しい」と思ったことはなくて、そのようなコミュニケーションを取ることでしか生きていく方法を知らなかったというだけである。

ときに「優しい」と言われる、相手に合わせるコミュニケーションは、摩擦を起こさず、自分を守る「檻」を作る。
この「檻」が自分を守ってくれていたのに、いつからか、この「檻」が足かせになってしまっていた。

「檻」を使ったコミュニケーションで自分の自信のなさをカバーしていたのだけど、それだけでは「自信がない状態」をケアしきれず、「分かりやすい承認を得ようとする弱さに襲われる。

他者の承認や特定の環境に所属することでの承認だったり、とにかく外部が作り出す承認を探しては、はめ込んでいこうと試みる。

「自信がない」というのは、自分で自分が認められないので、自分を認める方法を外部に求めてしまうのである。

「誰かに認められる」ことで「自分を認めていく」という行動を繰り返していくようになる。
それは決して悪いことではないのだけど、自分のコンディションを分からずに、他者承認を求め続けることは、強力な依存状態を作っていく。

他者の評価で自分を評価するため、他者の何気ない言動に、心が振れてしまう。他者からの評価が得られないと感じた瞬間に、自分の存在も消えて無くなる感覚を覚えていく。
他者から評価されないなら、他者は自分を傷つける存在だと認知して、一刻も早く離れなくてはいけないと感じ、距離を取ろうとする。

これが「檻」の作られるプロセスである。この「檻」は頑丈で自分を守ってくれていたのだが、自分を孤独にさせるモノだった。
「檻」は長らく自分を守ってくれていたんだけど、手放さなくてはいけないんだと気づいた。

外側だけで自分を形作ろうとすると、遂には「自己喪失」という状態に陥る。自分が誰だかわからなくなる、という現象になる。
「もう進めない」と気づいて、初めて「檻」と向き合うようになる。自分と向き合い、内側の自分を眺めるようになる。

自分も相手も見ようとしないと見えてこない。
人は見たいように物事を見る。
自分も見たいように相手を見ていて、それはとても自分勝手な見方をしていたなと思う。

内側を眺めるようになって、持てないものを持たないようにした。外側を形作るものは、どんどん手放すことにした。
どんどん小さく、どんどん少なくしていった。そうすると気づけば、自分の心が満ちていくのを感じることができた。

自分は不足している人間だと思って生きてきて、不足を埋めるために外側に向かっていた。けれど、ちゃんと内側を向けば、不足なんかじゃなくて、ただそういう凸凹した形をしていただけだった。
だから外側のモノはいらなくなって、自分で自分を満たすことができるようになった。

とても頑丈な「檻」を手放すのは、簡単なことではなかったけど、勇気を出して手放して良かった。
「檻」は無意識に作られるから、「檻」作っていないか点検し続けていこうと思う。

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