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こころの健康具合と素直さ。

「あなたは、よく考える人ですね。」と、ある人に言われた。
まるで占い師のようだなと思った。
その人とはオンラインで一度話す機会があり、オフラインで会う機会があった。

ひと回り以上年下のその人は、なんというか知性のようなものが滲み出てしまう人だ。パッと聞いて分かりやすい頭の良さというよりは、どうしても溢れ出てしまう教養の深さを持つ人のようだった。
それは物事を捉えるときに彼なりの真理を探求する渇望のようなものを持っていて、会話の端々に現れてしまうようだった。

何をキッカケにか話が深くなっていき、彼なりの信念を曲げられないときに人と対峙するという話になった。
信念がぶつかったときに一時的に対立が生まれるけれど、そこから絆が生まれてくる。そうして仕事の仲間の中に、自分の内側を話せる仲間ができたという話だった。

関係性はそうして作られる。どちらか一方が我慢するでもなく、意見の対立が起きたときに話すことで、相手の姿・形が見えてくる。理解しきれなかったとしても、相手の思考の背景をたどることで、構造に変化が起きてくる。
彼はそうしたときに、きちんと自分の意見を伝えることができて、素直に相手の話を聞くことができるようだった。

彼はどこまでも素直な心で話を聞く人のようで、私が話すことも経験の中にない事柄だと、素直に「分からない。」という。
そして「分からないです。でも分かるように自分なりに考えているので、少し待ってください。」と時間を求める。待つと自分なりの解を出す。「それは僕の経験からは、この事柄に当てはまりますが、そういうことですか?」と聞いてくる。
この人の知性は、分からないことを分かったようなフリをせず、分からないと伝える強さを持っていて、理解に努める姿勢から出ているんだと感じた。

その人は、20代前半に自分の「奢り」に気づいたと話す。同じ環境にいながらも、バックグラウンドの異なる人々と出会い、自分の「奢り」に気づいて、マインドセットが変わったようだ。私から見ると彼に「奢り」のようなモノを全く感じられないので、変化したんだろうなと想像する。

ふと自分が同じ年の頃を振り返ると、たとえバックグラウンドの異なる人々と出会ったとしても、自分を大きく変えることはできない気がした。
彼は持ち前の健康な心と素直さで、変化の機会をそのまま受け入れて変化してしまったんだろうと感じた。
「あなたは、そうした変化を受け入れる強さを持っていたんですね。」と話すと、分かったような分からないような不思議な顔をしている。

健康な心は健康な心が育つ環境と土壌が必要で、彼はそのことをすごく理解しているようだった。
「僕はとても恵まれている。」そんな風に話しながら、自分の姿をそのまま受け取れる彼の素直さは、愛情を受けて育った証のようだった。
真っ直ぐな人と話すと心が救われる。
将来を憂う彼を見ながら、ぶつかっても迷ってもいいから、どうかその真っ直ぐな心を鈍らせないでほしいと心から願う夜だった。

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