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火照り

 「あつい」。
心の中で吐き出した。いや、声帯を通過して、声となり、言葉となり、外界に発していた。
「あっつ」。
 私は暑いのだ。とにかく暑い。手足が火照り、どんなに文明の力を借りても暑さは減らない。手と足から湯気のような火照りが持続的に発せられ、顔や頭もモワッとした火照りが続くのだ。
 キンキンに冷えた缶ビールを飲んだとして、爽快な冷感は最初の三口まで。煙草を一本吸い終わる頃には、缶の表面を触れば気持ち良いが、液体は当初の新鮮さを失っている。
 空気が淀んでいる。文明の力が生み出したエアコンと羽のない最新の扇風機を二重操縦したとして、空間の気は淀んだままだ。
 暑いのか、はなまた、人が生命活動で生み出す体温が空気となり、熱気を帯びているのか。息苦しい。この言葉がハマるのだ。
 火照った掌を頬に当て、肘をついてみると頬の冷たさを感じる。そのままぼうっと目の前のアルミのいたるところに飛んだ調理油のこびりつきを特に意図せずながめていると、これまた不思議と昔、まだ自分が少女だった頃のことを思い返していた。
 幼少時代は、若葉の青い蒸し変えるような匂いを感じると、体の根幹からなんとも言えない芽吹くような喜びを感じ、手足の表面に汗が湧き出てきて、地に足を着けると何処までも上に、また、何処までも遠くまでも一足飛びで行けるような世界に対する喜びや、何かやってやりたいという湧き上がりを感じていた。そう、決まって若葉が、蒸し返すこの時期にだった。無性に走り出したくなる躍動感。若葉の香りを嗅ぐと、地面に咲く草種に顔を近づけ、両手を広げてそのまま地球を抱きしめ上げたくなるような、慈しみの心が湧き上がっていたのは、本当に私だったのか。なぜか疑いたくなるほど、今の自分と過去の自分の地球の生命活動に対する受け取り方が違うこの現実。地球愛好家まではいかなくとも、大人になったらサバンナで四駆を運転して、絶滅危惧種の動物達の保護を夢見たこともあった。何処までも広がる草原が織りなすはるか彼方に見える地平線に沈みゆく大きな太陽をいつかこの目に焼き付けてみたいとさえ夢見ていたのだ。
 そんな躍動感溢れる少女時代の私が今の私を見たらどんな感想を持つだろうか。全く空気が抜けない狭い家で、クーラーと羽のない扇風機の世話になりながら、換気扇の下で煙草を吸っている現在。淀んだ空気と煙草で汚染された空気が一体を循環している。これではいけない。
 私は、水で軽く洗顔し、近くの公園まで歩いてみようと思い立った。水で洗顔しただけでほんの少し体温が下がった気がした。玄関に行き、適当にスリッパを履く。ドアノブを捻り、一歩外へ足を踏み出した。
 その瞬間、オレンジ色の空に乗って、風が私の体を通り抜けた。洗ったばかりの顔に残っていた水気をさらっと風がさらっていき、ボサボサな髪の毛は、少しさらりと揺れた。
 私は公園に行くつもりだったが、瞬時に行くことを辞めた。その代わり、玄関の前にしばらく、座っておくことにする。座っているだけで、夏の夕暮れの匂いや風の流れ、人々の行き交う流れを見ているだけで、あれだけ暑かった体内に風が吹き始めた。
 私はしばらく、玄関先に座り込んで、脳内をサバンナにいる自分へと馳せてみる。今と同じ時間帯のサバンナには、乾いた風が吹き抜け草木が揺れている。動物たちは、夜支度を始めようと巣へ帰路についている。私の髪は、風に乗り揺れている。空気が溢れるほどに私の全身を抜けていく。息を鼻から大きく吸い込んで、口からゆっくりと吐く。何度も繰り返す。私の体は、空気の通り道となり、火照りなど何処かへ消えていき、息苦しさもすっかりと消えてしまっていたのだった。
 

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