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アメリカを横断しよう!

突然ですが、ここ最近の状況が収束したら海外に行きたい!と考えている方も多いのではないでしょうか?そこで今回を含めて3回程度、自身の海外経験について書こうと思います。初回はアメリカ横断について。人生のターニングポイントは?と聞かれたら、僕は必ずこのアメリカ横断だと回答しています。2011年のことなのでもう9年ほど経ちますが、この旅はいまだに鮮明に覚えています。

「旅行」と「旅」の違い

突然ですが、まずは「旅行」と「旅」の違いについて。まさに以下の記事に書かれている通りですが、「旅行」はリフレッシュや観光が目的である一方、「旅」はより冒険の色が強いものだと思っています。今回のアメリカ横断はまさに「旅」にあたるものです。なので「旅行」に興味がある方にとっては少し退屈かもしれません。

旅の始まり

2011年の春、東日本大震災が発生し深く記憶に残る季節ですが、4月から大学4年生となった僕は幸いにも某保険会社から内定をもらい、残りの1年弱は比較的自由に過ごせることになりました。そこで、以前話を聞きに行った地球探検隊の「多国籍ツアー」を思い出し、連絡をとってみました。夏休みにリソート地に行ってゆっくりするのも楽しいのですが、個人的には大学生になってからそこまで成長できている実感がなく、かつ帰国子女の同級生もいる中でずっと日本で育ってきた自分に少しコンプレックスを感じていたので、この機会にアメリカに行きたいと考えました。日程等を考慮して、夏休みを利用し8月〜9月にかけて「Suthern Sun」というNew YorkからLos Angelesまでを横断する、Trek America社が主催するツアーに参加することに決めました。

初めに「旅行」と「旅」の違いに触れておきながら、選んだのはツアーなの?と感じるかもしれません。この多国籍ツアーは世界中から参加者が集い、たまたま同じツアーに申し込んだ者たちで車に乗ってキャンプをしながらアメリカ中を旅するものです。僕が参加したSouther Sunはイギリス人6名、オーストラリア人5名、オランダ人1名、日本人1名(僕)、ツアーリーダーのアメリカ人1名でした。女性10名、男性4名(ツアーリーダー含む)で、ツアーリーダー以外は18歳〜24歳に収まっていた気がします。行き先が天気によって変わったり、キャンプをしたり、何より周りが全員外国人で、アドベンチャーやサバイバルという言葉がしっくり来るため、僕の中では「旅」として分類しています。

ちなみに滞在した都市を地図で表すと以下のようになります。旅行中の写真なので途中までしかピンが刺さっていませんが、最終的にはLos Angelesまで行きました。

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New York

タイムズスクエアはやはり人が多かった!などと言いたいところですが、タイムズスクエアにも行っていなければ自由の女神も見ていません。今思うと最初にして最大のピンチだったのですが、実はこの時New Yorkにはハリケーン「Irene」が迫っていました。成田空港を発ってJFK空港に降り立ち、宿泊予定のゲストハウスに到着したものの、「明日は早いタイミングで公共交通機関が止まるらしい」とのありがたい情報を得て、緊張と時差ボケで対して眠れないまま、すぐにSouthern Sunの集合場所への移動を開始しました。

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この時の集合場所がJFKではなくなぜかNewark空港近くのホテル(ヒルトン)で、JFKの近くだったらそもそもゲストハウスへの一泊も不要だったのにと不満を感じながらも、とにかく移動します。ですが、ハリケーンが迫っているからなのか電車は時間通りに現れず、質問をしようと思っても多くの人は急いで帰りたいのか相手にしてくれません。泣きたい気持ちになりながらも何とかホテルの最寄り駅まで到着し、あとはシャトルバスに乗るだけとなったのですが、次はどのバスが正しいのかがわかりません。そんな中で「Hilton」と書かれたバスを見つけて飛び乗るも、運転手さんに聞いてみたらどうも違うHiltonに行くバスだと言います。すでに雨と風がかなり強くなってきていましたが、半泣きになりながら「頼むからこのHiltonに行ってくれ!」とホテル名が印字された紙を見せて懇願したところ、乗客が僕だけだったこともあって、行き先を変えてくれて無事に到着できました。拙い英語でも魂を込めれば通じるものなんだなと心から痛感しました。なお事前調査によってアメリカはチップ文化だ把握していましたが、この時ほど自然にチップを支払ったことは後にも先にもありません。笑

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(ハリケーンは想定ほどの威力ではなかったものの、それでも結構なインパクトを残したと新聞に書かれていました)

Washington D.C.

ハリケーンは過ぎ去ったのですが、結局日程が多少短縮されNew Yorkは行かないことになり、まずWashington D.C.を目指すことになりました。前述の通り最終的には14名になるのですが、この時は飛行機の欠航でまだ到着していないメンバーもいたので、8名程度で出発したと記憶しています。旅はハイエースのようなバンで移動をすることになっていて、男女が乗るのであいのりのラブワゴンのように感じられなくもないのですが、実際には体の大きい欧米人ばかりが乗っているので中はすし詰め状態です。

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アメリカ横断と言いつつも、実際は移動時間がそれなりの割合を占めています。すし詰めなだけならまだ良いのですが、オランダ人のAstrid以外はみんな英語がネイティブなので、まず何を話しているのかほとんどわかりません。みんな楽しそうに話しているのに、自分は全然わからない。重要な話なのか他愛のない話なのかさえもわからない。みんなが笑う時に自分もワンテンポ遅れながらも笑ってみたりして、序盤は愛想笑いを連発していたと思います。「旅行」ではなく「旅」をすると決めてアメリカに来ているのですが、最初のハリケーンでも結構大変な目に遭っていたので、序盤は苦しい記憶ばかりが残っています。2011年ということで震災に関する質問も何回か受けたのですが、全然内容を伝えられないのが本当にもどかしかった。

そんな中でも、食事は万国共通というか、唯一リラックスできる時間でした。「自分の国だとこんなハンバーガーがあるよ」なんて話が拙いながらもできたと思います。ありがとうMcDonald。

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(ホワイトハウスと若かりし頃の僕)

Baltimore

ツアーリーダーが、「ホットドッグとビールを持って野球を観なければ、アメリカ人の気分を味わえない」みたいなことを(多分)言って、野球を観に行くことになりました。結果的には、この野球観戦がみんなに馴染む取っ掛かりになったと感じています。BaltimoreにWashingtonから車で行ける距離だったので、Baltimore Orioles vs Toronto Blue Jaysの試合を観ることになりました。到着し、ホットドックとビールを買って着席するとほとんどのメンバーが野球って何?状態であることに気づきます。確かにヨーロッパやオーストラリアでは野球はそこまで盛んではないので、みんなルールを知らないようでした。幸いにも僕は日本でも野球を観ることが多かったので(サッカーほどではないですが)、拙い英語を駆使してみんなにルールを説明します。この時に「お前詳しいなあ」って感じで、みんなに何となく認めてもらえた実感がありました。今思うと、ツアーリーダーのアメリカ人ももちろんルールを把握しているのですが、あえて僕に説明の機会を与えてくれて、みんなと話すように仕向けていてくれたような気もします。試合自体Oreolesがサヨナラ勝ちをしたこともあって、良い感じ騒いで仲良くなれました。英語は下手くそだけど、みんなと違うバックグラウントを持っていることは武器にもなるんだということを身をもって体感した気がします。

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West Virginia

首都見学と野球観戦の後は、West Virginiaに行きました。野球を通じてみんなと打ち解けた後で、かつWest Virginiaでトレッキングやカヤック等を楽しんで、完全に仲間になることができたと感じたタイミングだったと思います。もしアナザースカイの出演依頼が来たら、「僕のアナザースカイ。West VirginiaのNew River Gorge Bridgeが見える国立公園です!」と答えようと思っています。

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(2人1組となってテントで寝るのですが、イギリス出身のナイスガイSamと一緒になることがほとんどでした。今はエンジニアをやっているはず。)

Memphis

本当は南下してNew Orleansに行く予定だったのですが、ハリケーンか何かの影響で行けなくなったので、代わりにMemphisに行くことになりました。音楽が溢れる町で、個人的にはお気に入りの都市の一つです。Michael Jackson風のパフォーマーがとても格好良かった。音楽も食事と一緒で、言葉を超えて楽しめるものですね。

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なおGracelandという、Elvis Presleyの邸宅を含むエリアにも行ったのですが、当時の僕には「小泉元首相が好きな歌手かー」くらいの知識しかなく、何とももったいない過ごし方をした気がします。

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Texas, New Mexico

都市名を忘れてしまったので州の名前です。確かSan AntonioやSanta Feに行ったと思います。West Virginiaの自然とはまた違う美しさがあって、ゆったりをした時間を過ごしました。Memphisでも感じたのですが、アメリカは都市によってかなり雰囲気が変わると思います。あとナチョスが美味しかった。

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RoswellにあるUFO博物館に行ったりもして、この数日間は観光色が強かったと思います。みんなでアルミホイルを体に巻きつけて、宇宙からの交信を試みたりしました。笑

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Monument Valley

観光地としても有名な気がしますが、Monument Valleyにてインディアン部族であるナバホ族の方の話を聞きました。どちらかと言うと他のメンバーよりはアジア人である僕の顔つきの方が何となくナバホ族に近くて、歴史の深さを感じました。Monument Valleyの中でキャンプをしたのですが、あまりに星空が綺麗だったのでテントから出て外で寝たことを覚えています。起きたら耳の中が砂だらけになっていてかなり焦りました。笑

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Grand Canyon

Monument ValleyからGrand Canyonに向かう途中、「これぞアメリカ西部の景色!」というような一本道があったので思わず写真を撮りました。ついでにここでも記念に撮影しておけ、と言われたのがフォレスト・ガンプと書かれた看板のところでした。当時は何もわからずに言われるがまま写真を撮ったのですが、昨年初めてフォレスト・ガンプの映画を観てここが何だかわかりました。気になる方はぜひ名作フォレスト・ガンプをご覧ください。笑

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(何が何だかわからずに写真を撮っており、その気持ちは半目になっている自身の顔にも思い切り現れています)

Grand Canyonは言うまでもなく有名な観光地ですが、往復10時間のトレッキングをした経験がある方はなかなかいないのでは、と思っています。みんなは別の短いハイキングコースを選んだのですが、僕とSamはPlateau Pointを目指して10時間のトレッキングにチャレンジしてみました。Grand Canyonの場合、高台からスタートして川の方に向かって歩きそこで折り返すので、復路が登りとなってとにかくしんどいです。天気もコロコロ変わるので、あまりおすすめはしません。とはいえ、道中でイギリスの政治について話してみたりして、楽しい時間を過ごせたと思っています(当時の僕は政治学科所属)。

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(全然Grand Canyonっぽくない写真ですね)

Zion

国立公園です。旅も終盤になってきて、このあたりから名残惜しさと早く帰国したい気持ちが交差し始めますが、ここでもトレッキングに挑みます。頂上に着き写真を撮るものの、相変わらず英語はそこまでわかっていないので一人だけ全然違うポーズで写っています。でもそんなことは全然気になりません、心が通じ合っているはずなので。笑

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Las Vegas

近くにキャンプ場がないので、珍しくホテルに宿泊しました。Hard Rock Cafeやカジノに行って、完全に観光モードでした。みんなでリムジンを貸し切って大はしゃぎした記憶があります。あまり変わった体験はしていないのでさらっと流します。

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(ビギナーズラックで100ドルが当たる)

Los Angeles

旅の終着地です。LAに残って観光してから帰国するメンバーが多かったのですが、僕は割とすぐの飛行機を予約していたので、夜中にこっそりホテルを抜けて空港に向かいました。前日の夜、みんなでこの旅で印象的だったことを話したことを覚えています。僕はMemphisの街が良かった、と答えたような気がします。ここでFacebookのアカウントを教えあったりしました。ありがとう、Zuckerbergさん。ここで繋がったメンバーの1人とは数年後に再会することになります。

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(最後ナチョスを食べたんだっけ・・・)

旅を終えて

特に序盤は苦しい時間もあったのですが、結論としてこの旅を通じて多くのことを学びました。日本で比較的順調に生きてきた自分は「井の中の蛙」であって、世界は広い。多国籍なメンバー構成であるだけでなく、中には義足をつけて参加している人もいればレズビアンもいて、良い意味で従来の価値観が壊れました。
日本でストレスなく快適に暮らすことももちろん悪くないのですが、あえてサバイバルな環境に飛び込んだことで、自分の存在がちっぽけであることや、コミュニケーションの難しさを学んだと思っています。アメリカ横断の旅を紹介してくれた地球探検隊の中村隊長の言葉を借りれば、「Out of Comfort Zone」です。この旅を境に英語の勉強にもより身が入るようになりましたが、英語はあくまで手段です。何か聞かれた時には英語を介して自分自身や日本について語れるように、日頃から目的をもって暮らすようになりました。何より日本に帰ってきてから、これまで当たり前だと思っていた環境に感謝をするようになりました。日本語が通じるどころか、言葉にしなくたって阿吽の呼吸のように何かを伝えることができるのは、似たようなバックグラウンドで育ってきたからであって、日本を出れば通用しません。残念ながら昨今の状況ではなかなか海外に行けないですが、日本に身を置いたままでも、今の環境に甘えずに自身を律して、より自身を高めていけるようにこれからも過ごしていきたいと思います。

次回は「旅」ではなく「旅行」について書こうかと思います。

nozomu

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