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英語は「マニュアル運転」並に趣味になるか?そして、自動翻訳は「オートマ」に匹敵するか。

僕が英語教育サービスをやっているのを知っている方からこんな質問を受けたことがあります。

「車はオートマ化して、ほとんどマニュアル運転をする人を見なくなったけど、英語も自動翻訳が完成したら、生の英語を使うのはマニュアル運転みたいに駆逐されるんじゃないの?(英語教育って縮小しない?)」

と。

ロゼッタが全社員に英語禁止令

のリリースをみて、この質問を思いだしました。

シンプルに考えると、確かにその通りの気もして、英語教育なんぞ不要という流れになりそうですが、今回はそれはコミュニケーションを単純化しすぎているよねという話。

運転という行動のオートマの意味

まずどうして運転をするのか、そしてオートマはそれにどのように応えているのかを整理すると、

車の運転の目的は、「AからB地点への移動」で、そして、この移動を早く、楽に、安全に、そして安く行うのが目標。

だからイノベーションの方向性が、「複雑なマニュアル」から「より簡単なオートマ」に流れていくし、究極、自動運転につながっていくわけです。無人運転の電車はすでに自動運転を達成しているものの目的地へドアツードアではないので、その最後の1マイルを達成できる車の自動運転化はゲームチェンジャーなのです。

英語の目的とは

翻って英語の目的はなんでしょうか?
特に、今回は外国語としての英語を使う理由ですね。

まず、ロゼッタ・ストーンのリリースにみる英語の目的は「業務内容の伝達」で、英語は仕事上の報告・連絡・相談や命令などをデリバリする役割としての言語です。その言語が各々の国で違うため英語という共通言語を使う、と。目的は情報の伝達(AからBへの情報の移動)となり、車の移動の目的と構造的に似通っているため、結局オートマ対象じゃん。という短絡的な結論。

正直、特定のケースでの仕事上はそれでいい。日本とか。

ただ、言語に求められているのは情報の移動だけではありません。すべての会話はコミュニケーションに内包されており、言語はコミュニケーションの目的も達成しないとならない。

人類史、いや単細胞から脱却して以降の生命にとってのコミュニケーションの目的は、究極的にはDNAの交配!結合!増殖!ですよね?

そもそもコミュニケーションとは、多細胞生物が他のDNAを効率よく取り込むために、または生き残るために必要な手段の一つで、言語はそのなかの一つの細分化された手段なのです。

話が大きくなるので、極力単純にいうと自動翻訳で、社会を維持し、個体としてはしぶとくその中で生き残り、結局は子を為せるの?という命題に回答する必要があるのです。

実際問題、ここ10年ぐらいの話であれば、日本のような単一言語地域では英語は自動翻訳で問題ないレベルの需要しか無いでしょう。一方、地理的に国境を他国と隣接する地域では、個体数が増え続ける地球上の多細胞生物として自動翻訳だけで上述の目的を達成できるようには思えないわけです。そして、日本も将来的にはまず間違いなく自動翻訳で耐えうる社会ではなくなります。

この壮大な生命にとってのコミュニケーションの目的を自動翻訳が満たせる場合にだけ、「英語の習得」を車のマニュアルと同様な趣味的な立ち位置に持っていけると思いますが、ま、無理でしょう。

日本から日本語が駆逐される

人口の減っている日本では英語の勉強が完全にマニュアル化(趣味化)する日よりも、日本語がマニュアル化(趣味化)する時代のほうが近いと思います。日本語を話さない人間が日本に多くなれば、自然と日本語が駆逐されます。そして公用語が英語になり、、、。

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画像出典:将来推計人口でみる50年後の日本

海外の英語学習のモチベーションは異常に高い。

海外勢がすごい勢いで増えています。英語は彼らにとって明らかに死活問題になっていると。そんなわけで、実はEigoooのユーザーの7割は海外ユーザーとなっています。もう日本語がほんとうに聞かれないチームになってきてしまっている。もっと日本ローカルマーケを頑張らねば。

まとめると、英語は「マニュアル運転」並の趣味にはならないし、自動翻訳は「オートマ」そして自動運転に全く匹敵しない。

海外に打って出たい人にとっては、自動翻訳はほとんどなーんにも役に立ちません。むしろ、英語を使う機会が減って害悪なのでは?というぐらいです。英語は使わないと廃れてしまいますから。

勉強しましょう。。。


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