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グデメアの夏

1 きざし

 よく晴れた夏至の昼。
 祭りの本番は夕暮れからだというのに、田舎の小さな港町にはまだ日が高いうちから見物客が集まってきていた。普段は新鮮な魚だけが自慢の静かな港町が、今日ばかりは華やかな祭り一色に染まる。屋台で売られるキャンディーパールの甘い匂いが、風に乗って山向こうの隣町まで届くと言われるほどだ。キャンディーパールとはシャリッとした噛みごたえの、真珠に似せた色とりどりの小さなまるい粒状の飴で、中身は空洞になっている。二重ガラスを模したしずく型の透明な容器に数粒入って屋台の軒にいくつもぶら下がって売られており、ミレの夜祭り定番のお菓子として見物客はこぞって買い求めた。「夏至が晴れれば1年食える」と、町民も総出で様々な屋台を出して祭りの見物客たちを迎えた。
 
 ミレの町には、町の入り口から海へと続く石畳の一本道がある。この一本道は町の入り口から緩やかな上り坂が続き、少し歩くと途中にぽっかりと穴が開いたように何もない広場に出る。広場の端にぽつんとクロマツが立っているため、町民はそこを「クロマツの丘」と呼んだ。クロマツの丘から先は海まで下り坂になっているので大変見晴らしが良い。夏至の夜祭り「星とり」の日には、一本道の両脇がいくつもの屋台で埋まる。名物のキャンディーパールの他に、炉端焼きや牡蠣小屋といった食べ物屋台や、大人向けのスパイススカッシュスタンド、風船屋台もあれば工芸品を売る屋台もある。クロマツの丘には見物客が海を見渡すための会場が設置されていて、慣れた見物客は町の入り口から屋台を冷やかしながらクロマツの丘を目指す。
 
 「こんな小さな港町に、よくこれだけ集まるもんだな」
ネルは昼でも薄暗い店内で、自分用のコーヒーカップに冷たいミルクを少し入れて香りをかいだ。ほんのり甘い乳の香りが冷気とともに鼻をくすぐる。このまま舐めてしまいたい気持ちになりながらも、カップを置いてコーヒーの準備にとりかかった。
「カフェ マルゼ」は、クロマツの丘を左に下って、三つ目の十字路を右に曲がり、くねくねと曲がった細いけもの道を下ったところにある。ミレの町民ならみんなが知っている町外れのカフェだが、祭りの見物客がこの店に気づくことはほとんどなかった。それもそのはずで、ただでさえ田舎の町の端っこに位置しており、看板らしい看板はなく、メロー材の重厚な扉に「営業中」の札か「本日休業」の札がかかっているだけだった。
 マルゼの主人であるネルは土色の素朴な短毛に黄金色の瞳をした猫で、白いワイシャツに黒いスラックスが彼の仕事着のようだ。入口から店の奥までまっすぐに伸びた狭く細長い店内には、扉と同じくメロー材の一枚カウンターがそなえつけられている。メローは比較的安価な材木だが、マルゼの扉とカウンターほどの厚みと大きさを兼ね備えた材はなかなかお目にかかれない。入口扉のわきには縦長のウインドーがもうけられていて、土でできた珍しいコーヒーカップや古いコーヒーミルが飾られていた。
 ここを初めて訪れる客は、たいてい道に迷った時にこの店にたどりつく。クロマツの丘以外に見晴らしの良い場所はないか、見物客の混雑を避けて港へ出る方法はないかと道をさがし、やっぱりここから港に出るのは難しそうだと思い始めた頃合いに出会う建物がマルゼだ。「営業中」の札を見てここで道を聞けそうだと安堵し、扉の左手にあるウインドーの装飾を物珍しそうに見ながら、アーチ型の扉をギッと引っ張って「ずいぶん厚いメローの一枚板だな。」と扉を見上げて多くの客は感嘆するのだ。そのまま店の天井に目を移し、星とりの道具と言われる二重ガラスを模した小さなペンダントランプが5つ、カウンターの上に降りかかるようにぶらさがっているのが目に入れば、田舎の小さな港町にしてはしゃれた雰囲気の内装だと目を奪われ、道を尋ねるのを忘れて席に着くのがお決まりだ。もしそこに常連客がいればその様子に気づいて「あんたどこ行くつもりだったんだ?」と気を利かせて話しかけてくれるだろう。
「毎年のことだが・・・・・・毎年同じことを思うよ。なぁ、リコ?」
カウンターの中からウインドーごしに外を眺めたまま、瑠璃色の美しいカップに温かいコーヒーを注いだ。西向きのウインドーから射し込む陽の光は、まだカウンターまでは届かない。コーヒーカップの中では、先ほどの冷たいミルクと熱いコーヒーがゆっくりと混ざり合っていった。
 リコ、と呼ばれた人間の青年は店の奥で面白くなさそうにコクリとうなずいた。年の頃はまだ十五〜六だろうか。茶色い巻き毛に茶色い瞳の青年は、肩まで伸びた髪を後ろひとつに束ね、腕を組んでカウンターの外からネルの背中を不満げに見つめて言った。
「今年はきっと仕事を任せてくれると思ってたのになぁ。1年で1番の稼ぎどきだってのに、星とりの日に営業しないなんて……。」
「本日休業」と書かれた木製の札をやる気無く持ち上げて放り出すようにカウンターに置くと、乾いた木材はコン!と音を立てた。ネルは相変わらずリコに背を向けたままで、耳だけがぴくぴくっと動いた。ウインドーにうっすら映る黄金色の目には一瞬迷いの色が浮かんだように見えたが、軽くヒゲをなでて目を閉じ、ふうっと大きく息を吐いた。
「良かったなリコ。今日はそっちの札じゃないんだ。」
リコの方を振り返り、瑠璃色の美しいコーヒーカップちょっと持ちあげて、笑った。「えっ?」と驚いた表情でリコはネルを見返した。
「本当なの?」
「そうらしい。昨夜遅くに飛脚馬が来たんだ。あいつはいつもふらふら旅ばかりしているが、約束は違えないやつだからな。」
「・・・・・・やった!」
リコは目を輝かせて今度は両手でぎゅっと木製の休業札をつかんだ。ばねのようはずんでカウンター下にかがみ込むと元の場所に戻し、その奥にあるもう一枚の、ほこりがこびりついた休業札をゆっくりと手に取ると、興奮気味に大きな声で言った。
「信じられないよ!星とりの日におじさんが訪ねてくるなんて!」
頬を紅潮させて、先ほどの木の札よりも重たい休業札を慎重にカウンターに置いた。ゴトッ。ネルの耳がまたぴくっと動いた。
「俺も信じられないと思ったよ。短い手紙なのに何度も読み返しちまった。読み返しているうちに寝ちまってな。気づいたら朝だった。」
ダハハと笑いながら絞った雑巾をリコに渡すと、ネルは埃まみれの休業札を見て呟いた。
「ずいぶんとダストに愛されたもんだな。」
リコは受け取った雑巾に店内清掃用の洗剤をまんべんなくふりかけて、ごしごしと札をこすった。油混じりの水蒸気でびったりと貼りついていたほこりが徐々にとれていくにつれ、ネルのコーヒーカップのように美しい、瑠璃色の陶器でできた休業札が姿を現した。何を隠そうこの札はリコが「おじさん」と慕う、ネルの親友ムークの訪問を常連客に知らせるためだけにある。これがかかっているときは「来客お断り」だとネルは客に説明している。普段使う木製の休業札はあってないようなもので、「どうした。休業か。」と一部の常連客が入ってきてしまうからだ。
 リコは丁寧に札を抱えると茶色い巻き毛をはずませながら、厚みのあるメロー材の重い扉を肩でゆっくりと慎重に押した。扉の隙間から、きらきらした陽射しとともにキャンディーパールの甘い匂いと潮の香りが混ざり合って全身にふきつけてくる。リコは思わず目を瞑った。遠くからはたくさんの話し声や笑い声が聞こえてくる。クロマツの丘やミレの港に集まる見物客は増え続けているようだ。
 扉を浅くくり抜いた部分に注意深く陶器製の札をはめこむと、リコはまくり上げていたシャツの袖を伸ばして「本日休業」の金文字をキュッと拭き上げた。

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