最後に『素晴らしき哉、人生!』と言えるように。誰かの幸せを願う人であり続けたい。
ここ数年、クリスマスが近くなると父さん映画のことを思い出す。
2年前の12月、朗読仲間と『父さんの映画』という朗読の舞台を作った。
高橋いさをさん作の脚本をお借りして、小さなハウススタジオで上演した。
目の見えない父に四姉妹が観た映画の内容を伝えると言うお話で、作中にたくさんの映画が出てくる。
『素晴らしき哉、人生!』はその中のひとつで、本番まで繰り返し何度も観たのを覚えている。
『素晴らしき哉、人生!』は1946年のアメリカ映画。フランク・キャプラがキャリアの集大成として撮ったものの、公開当初は興行的にまったく振るわなかったそうだ。
しかし、毎年クリスマスの定番として年末にテレビ放映されると、次第に受け入れ、今もアメリカでは年末に必ず放映されているそう。
簡単なあらすじはこうだ。
人生に絶望して橋から投身自殺をしようとしたジョージは、成り行きで先に飛び込んだおっさんを助ける。
おっさんは言う。「自分は二級天使のクレランス。あなたの守護天使だ。翼をもらう為にあなたを救いにきた」と。
クレランスの見た目は普通のおじさん。
天使らしさゼロです。
「自分なんて生まれてこなければよかった」と言うジョージに対して、クレランスはその希望に応え、''ジョージが生まれなかった世界''を見せる。
自分のいない世界を目の当たりにしたジョージは、元の世界に戻してくれるようクレランスに頼む。帰ってきた世界で家族の元に走るジョージ。ジョージの家にはジョージを助けようと街中の人が寄付を持って集まっていた。
そして、クレランスから「友あるものは残敗者ではない。翼をありがとう」とメッセージが添えられた本が届く。
家族の笑顔とともに、映画は蛍の光の合唱とともに幕を閉じる。
キャプラの映画は、その甘々なハッピーエンドの演出からキャプラコーンと批判されていたそうだけど、 わたしはそうは思わない。
これは映画だ。
みんな知っている。現実はうまくいかない。こんな展開ありえない。みんながハッピーにはなれない。
それでも、幸せを願うことや、誰かを助けること、助けられることが、素晴らしいことだと信じていたい。
作中、クレランスは現実世界にほぼ干渉しない。魔法や奇跡みたいなもので解決することはないのだ。ジョージを助けたのはあくまでジョージの周りの人達であるから。
ジョージのハッピーエンドは、起こらなそうで、限りなくなさそうで、ただ絶対にないとは言えないものという現実の奇跡の上に描かれている。その一点が、この映画に込められた願いだと思う。
優しい人は報われると信じていたいし、
誰かの幸せを願える人であり続けたい。
一緒に父さんを作り上げた朗読仲間も、朗読家として活躍していたり、ナレーターとして活躍していたり、家庭を持ったり、あんまり連絡とってないけど風の便りで元気だと聞いたり。それぞれに人生は続いている。
わたし自身も結婚して、生活が変わって、今年は子供が生まれてはじめてのクリスマスだ。
先日、四姉妹を演じてくれたのひとりから、はじめてのクリスマス楽しみだねと言われ、あまり実感がわかなかったけれど、考えてみればケーキの予約とプレゼントの購入が済んでいたのに気がついて、思わず笑ってしまった。
人は変わって、でも人生は続いていく。
今観直したら、きっと違った感想になるかもしれないなぁ。
いつか子供と一緒にクリスマスにこの映画を観て、二人で『ジョージおめでとう』と言ってあげたいと思う。
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待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!