
淡々と良い方を目指す
思っていることをただばらばらとスマホに書く習慣があり、今週書いていたことの一つです。内容の連なりがよくわからないところもありますが、校正なしでそのまま出しです。あしからず...
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大学学部・大学院と経済学を勉強しました。なんにも知らない田舎の高校生が経済学にもつイメージは「需要と供給」くらいのもので、しかし大学で学ぶ経済学はもっともっと豊かなものでした。
経済学は、人の意思決定について研究するという側面を持ちます。
面白いですよね、人の意思決定を考えるって。
代表的な意思決定モデルが効用最大化です。
お財布の中に1,000円入っています。
りんごはひとつ100円、ぶどうはひとつ200円。
あなたが一番満足する買い方の組み合わせはどんなもの?
みたいなやつですね。他にも費用最小化だったりあるんですが基本構造は
~という条件を前提・制約にして、~を最大化/最小化してね
なんです。これ、無知な18歳の自分としてはめちゃめちゃ学びが深くて、いまでもこの考え方はとても役に立っています。
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社会の変化は制約の変化
いま、社会の変化が色んな所で起きているじゃないですか。人との距離の取り方とか、お買い物の仕方とか、仕事の環境とか。
これら全部、制約の変化です。
ちょっと前とは違った条件で、行動を最適化してもらえませんでしょうか?満足度や仕事のパフォーマンスを最大化したり、かかる時間や予算を最小化したり。
と問われているわけですよね。別にこの環境でも満足するように自分の感性・感じ方を変えろ!と言われているわけじゃなくて。
普通、人は変化が嫌い
制約って、自分で決められないものです。お小遣いを決められていた小さい頃はその上限を疎ましく思っていたけど、今では会社が提示していくる目標、家族の状況、さらには緊急事態宣言なんかもあるわけです。
いろんな制約がある中で、必死にみんな頑張っているんですよね。しかし突然、誰かが、自分の制約を変えてくる。変化を要求してくる。
外に出ちゃいけないとか、勤務シフトを変えてくるとか、とあるものを身に着けなきゃいけないのか、とか。
変化って面倒くさいですよね。昨日までと違う条件で考えなきゃいけないし、意思決定もしなきゃいけない。負担もかかる。「なんで私だけ!」みたいな気持ちにもなる。怒る人もいる。政府・行政や大きい会社はよくそのサンドバックになる。
それでも
やっていなかきゃいけないんですよね。人間なので。辛く苦しいシーンがあるんですが、それでもやっていかなきゃいけない。
不満もでる。怒ることもあるし、自分よりもっと怒っている人もいる。誰も助けてくれないと感じることもある。嘆きたくなることもある。
それでもやっていかなきゃいけない。
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経済学のいろんな問題って、制約条件/前提をつけておかないと解けないものです。上の例で言うと、
りんごはひとつ100円、ぶどうはひとつ200円。
さあ、あなたが一番満足する買い方の組み合わせを選んで!
って言われても、最大化できない。「1,000円で!」とか「200円で!」と言われると、やっと意思決定できるようになる。
制約があることって、意思決定をすることの前提なんですよね。
明日になったら、また別の社会変化があるかもしれない。自分自身の向き合う制約条件も、それによって変わるかもしれない。
その変化を嘆くこともできるし、自らの意思決定を見直して淡々と良い方を目指すこともできる。
どちらを選ぶのか、自分が決めることができる。