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不毛で雑多

私:私は自分の可能性を信じてここまでやってきました。どうにかうまくいったけど、なぜだか心が寒い。私が選択すべきはもっと別の可能性だったかも。一回生の頃に選択を誤ったのかもしれない。

師匠:可能性という言葉を 無限定に使ってはいけない。君はバニーガールになれるか?パイロットになれるか?アイドル歌手に、必殺技で世界を救うヒーローになれるか?

私:なれません。

師匠:なれるかもしれない。しかし、ありもしないものに目を奪われてはどうにもならん。自分の他の可能性というあてにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにいる君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。君が有意義な学生生活を満喫できるわけがない。私が保証するからどっしり構えておれ。

師匠:薔薇色のキャンパスライフなど存在せんのだ。なぜなら世の中は薔薇色ではない。実に雑多な色をしているからねえ。



森見登美彦原作のアニメ「四畳半神話大系」の9話のなかの「私」と「師匠」の会話。この会話こそが、このアニメで伝えられる真理だと思う。

薔薇色のキャンパスライフに憧れる「私」が、選択を後悔してはなんども大学生活を入学式からやり直す。だが、大学生を何度も繰り返すにつれて気づく、「私」は結局何をやっても不毛なのだ。

結局「私」は「私」で、何回やり直しても「私」の周りにいる人も同じで、結局全部不毛で面白いのである。「私」が思い描いていた、薔薇色で光り輝いていて、一点の曇りもない学生生活など、幻想に過ぎなかったのだ。もっと不毛で、雑多で、ごちゃごちゃした学生生活こそがリアルで、何かしらうまくいかないのが「私」なのだ。


いつだったか、友達から「生まれ変わったらお前になりたい」的なことを言われたことがある。

その友達は何となく言ったんだろうけど、他人から見たら、私の人生はそれなりに良く見えるんだ、と思った。実際自分の人生はそんなに悪くはないと思っているけど、生まれ変わったらなりたいと思えるほど、良いことばかりじゃない。コンプレックスもあれば、忘れたい過去もある。人間誰だってそうだろう。

でも、生まれ変わったら誰になりたいという気持ちにも身に覚えがある。憧れの人を見て、その人自身になりたいと思った。その人の人生こそ薔薇色だろうと思った。

でも実際自分がその言葉を向けられて気づいた。誰かからしたら薔薇色に見える人生も、その当人からしたら薔薇色でも何でもないんだ。ごちゃごちゃで雑多で現実的で、色に例えている場合ですら無い。

師匠の言う通り、薔薇色の人生なんて、この世のどこにも無いんだろう。


私は「私」のように人生を後悔しても巻き戻してもう一度、なんてできない。

だからこそありもしない薔薇色の人生などに気を取られて、リアルな人生から目をそらしてはいけない。ないものねだりばかりせず、自分以外の他の何者にもなれない自分を認めるべきなんだ。


不毛で雑多。いいじゃないか。


どっしり構えて、不毛な人生を真っ向から楽しめばいい。師匠が保証してくれているように、有意義な人生など送れるはずないんだから




なんて、ありきたりな人生観かもね、でもそれが真理だと思った

真理って、ありきたりなものなのかも



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