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一日の終わり、十分に

こんばんは。

今日もお仕事、がんばりました。

今月は土日もシフト入っているのです。


朝、いつも家を出る時間に目覚め、頭の中 「???」のままで支度し、バタバタで始まった一日でしたが、

仕事にはふつうに間に合ったし、久しぶりに会えて嬉しかった人もいたし、天気もそんなに崩れなくて、

淡々と順調に仕事ができてよかったです。

私は今、植物の農園で働いていますが、

冬に向けて成長をゆるめる植物と、どんどん花を咲かせようとする植物と、どちらもあって

みんなまっすぐで可愛くて、毎日世話をするのが本当に楽しいのです。

自分の心が元気だと、それが植物にも映るからより嬉しい。逆も然り。

生きているものと日々こうして関わることは、仕事とか関係なく、私にはとても大事なことで。

自然の乏しい土地に住んでいたとしても、空き地に茂る草花、街路樹、そこに住まう虫や鳥の息づかい、そういうものはやはり感じられて。

そういう瞬間を喜べる心の状態を保っていればいい。

東京だって気持ちのいい風は吹いてくれる。陽射しもあたたかい。星はそんなに見えないけど、今日はバス停で待ちながら宵の明星を見ることができた。

美しい夕暮れもこれまでたくさんあった。

そういうものに出合う度、あぁ、十分だ、と思う。十分すぎる。

星のひとつひとつも生きていて、地球もそう。計り知れない生命の蓄積と集合の上に、ちょん、と人間がいる。私がいる。

奇跡のような一瞬が人生なんだな、と。この心身で出来ることはあまりに限られている。だからつまり、何でもいい。自然に自分の心の向くことができるなら、それが何だっていい。


時間は足りないのだろうか。モノは足りないのだろうか。何か、何かが足りないというのは、本当だろうか。

十分すぎる、と夕暮れの帰り道に思った。この説明しがたいまっすぐな感覚を、なんとなくでも覚えていたいと思って文にした。

具体的なことも置いていけないから、やはりやるべきこと、というのは生じてくるけど、それでも根底にこの充足があることは大切。

空を見上げて綺麗だと思ったり、珈琲をのんで美味しいと思ったり、

そういうことを分け合えたら、やはりうれしいのではないかと思うから、

私はまたこうして書いてしまうのかもな。


いろいろあって大変だけど、大丈夫。大丈夫です。

よりよく、前に、ゆっくりとでも、着実に。

あなたも私も歩いていけたらいいですね。


・・・

またよく分からないnoteを生成してしまいました…

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます◎

私は明日お休みですが、多くの人はきっとお仕事ですね。

よい夜と、明日になりますよう。