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友達から初めて本を借りた時 僕の歴史は大きく変わった

応援してる地元サッカーチームがどうにも勝てないので、
地元に住んでいた時代の昔話でもしようと思う。

図書委員長なういず

今でも毎年本を100冊ほど読むが、
子供のころから本が大好きだった。
それは毎日絵本の読み聞かせをしてくれた母の影響かもしれないし、自宅に4畳ほどの図書館をこさえた父の影響かもしれない。ありがとう。

本好きが影響して小学校では図書委員長をしていた。
それは、図書室に誰もいない放課後に本を読めるからだった。(=委員会の仕事を合法的にサボれたのだ!)

友達と貸し借りするのは専ら漫画で、本は誰かとやり取りするものではなく、自分で1人楽しむためのものだった。
父とのルールで毎月3冊買ってくれる青い鳥文庫、図書館の端っこで委員会の仕事を合法的にサボりながら読む海外ファンタジー
本は自分で楽しむもの内向的で、誰かと楽しむものではなかった。
そのベクトルは自分にしか向いてなかった、それは当たり前のことだと思っていた。

塾でとなりのKくん

小6から県庁所在地にある塾に通い出した。
僕の住んでいた田舎町からは車で30分。田んぼが少なくて驚いた。

塾でとなりだったKくん。算数が得意で国語が苦手なところが僕と一緒で意気投合した。
休み時間にゲームの話をしたり、お菓子を食べたり。

ある日Kくんがおもむろに語りだした。
「最近面白い本を読んだんだよ」
カバンから本を取り出し、その本の面白さを語りだす。
読書感想文を即興で他人にする人間を初めてみた。

「その本面白そうだね、もしよかったら、かして欲しい」
忘れもしない。2007年の夏。
僕は初めて人から活字のある本を借りたのである。

一晩で読んだ。読まなきゃいけない気がした。
翌週の休み時間はKくんと感想を語り合った。
その翌週もまた感想を語り合った。
その翌々週は僕から本をかした。
本を読み、共有し、語る、その楽しさを初めて知ったのだった。

ただ単に本を借りただけ、それだけの小さなイベントだったけど、
本が漫画のようにコミュニケーションの道具になること、そういう人種がいることを初めて知ったのだ。


この街を飛び出して

Kくんは中学受検(誤字ではない)をするという。
僕の出身県では中学受検は珍しい選択肢だ。

僕も一緒に行かなきゃ、と思った。
Kくんが目指す学校には、きっとKくんみたいに本をかしてくれる人がいる。
Kくんが目指す学校には、きっとKくんみたいに僕の世界を広げてくれる人がいる。

その中学校は実家から電車20分と自転車で30分の計50分
往復すると計2時間弱にもなる。
小学生にとっても2時間はあまりに長く、大旅行をする感覚だ。
それでも行かなきゃと思った。
そこにはきっと素晴らしい世界がある。

2007年秋、初めて本気で受検勉強というものに向き合った。
正解する喜び、間違えた時の悔しさと焦り。
面接のために難しい言葉やネクタイの結び方を覚えたり…
友達の家にゲームしに行くのもやめて、好きだったアニメを見るのもやめて、狂ったように向かい合った。

そのかいあってか、無事入学検査には合格できた。
田舎町を飛び出して高崎へ。新しい生活が始まった。
1冊の本を借りて、僕の世界は大きく変わった。
でも、そこに、Kくんの名前はなかった。



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