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4/4 獅子の心臓

横浜トリエンナーレを見にみなとみらいまで行ってきた。
雨が降っていたけれど会場は結構人がいた。今回のテーマは中国の作家魯迅の作品からインスピレーションを受けたものを元に「野草」に着目していた。久しぶりに美術館にいくと、たくさんの作品の根性というか魂に触れたような気になって大分疲れる。中でも会場を縁取るように展示されていた、志賀理江子さんの写真と対話によるインタビュー集は会場を圧倒していた。宮城県の牡鹿半島で、食べるために鹿などの害獣駆除をする食猟師をしている小野寺望さんに投げかける質問と、その答えが写真の上におそらく手書きで書かれていた。壁面いっぱいに飾られる写真の中でも一際目を引いたのは、おそらく鹿の心臓をそのまま載せているであろう写真だった。どす黒い赤でぬらぬらとひかる心臓を見て、私は鹿ではないが、小さな山羊を狩って山の中で捌いたことを思い出した。生き物は撃たれて死ぬと、猟犬は獲物の近くまで走る。私が撃ったヤギは小さかったが、私が山から降りるためにはそのまま運ぶより解体した方が安全であったため、その場で解体作業に入った。とてもよく切れるサバイバルナイフで、関節を外したりしながらなるべく肉を平にして皮と肉部分の間をさっさと剥ぐ。ヤギの心臓は食べるものではないため、内臓には手を出さず肉が大きい足や胴体の一部などをもらい、皮もその場に置いて山を降りた。小野寺さんは夏の日差しで焼けそうになりながらする猟の話をしていたが、私が山に入ったのもちょうど短い夏の頃だった。四輪バイクで登ってきたのに途中でガス欠になり、帰りは歩いて降ることになった。山の中では木も何もない原っぱが延々と続き、帽子をかぶっていても無限に汗をかいた。これを毎日するなんて、なんて強靭な精神と肉体をもった人たちなんだろう、と職猟師たちのことを思った。
志賀理江子さんの写真集「螺旋階段」を持っている。正確に言うと、友人に預けていて私はまだ一度も見たことがない。牡鹿半島にも行ったことがあって、小野寺さんではないがそこで猟師をしている人にも会うことができた。命を追い続けることを仕事にする人たちは、聡明で思慮深い賢人のように見えた。

トリエンナーレの会場には、他にもフランスで起きたデモの様子を記録したビデオや、ビバリーヒルズやハリウッドまでほふく前進で5年かけて進行した人の記録などもあった。その人はスーパーマンの衣装を着て前進を続け、白人社会ありきのハリウッドのあり方に対してのアンチテーゼとしてこの活動をしていると語った。5年間、一つの作品と思いのために進み続けることは容易くない。長い道のりを一つの想いのために進み続ける間、どんな葛藤や苦悩があったのだろう。

雨で終始頭の重い日だったけれど行けてよかった。自分が知らない世界のことや、もやは意図を理解することも難しい作品に出会うたびに、まだまだ面白いことが世の中にはたくさんある、と希望を持てるから。

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