6/1 海底さんぽ

しとしと雨が降るので全然外に出たくない一日だった。目が覚めたら外の水を貯める大きな壺に雨が反射していた。あの中にトンボが卵をつけたらヤゴにとって素敵なマンションになるだろうなと思いながらしばらくその壺を眺めていた。あそこで生まれたらどんな一生を送るのだろう。太陽を浴びて温い水の中で孵化して、すいすい泳ぐヤゴになって、それも終わったら晴れて自由の身になる。その間鳥や他の虫たちに食べられないでいられる確証はどこにもない。運のいいヤゴだけがトンボになれる。私は運のいいヤゴになれるだろうか。今の私のままヤゴになったら私は間違いなくトンボになれる気がする。運がいいことでこれまで生き延びてきた。ヤゴになってもそこは健在でいてくれる気がする。

最近ずっと家でできるたこ焼き器を買おうか迷っている。もう旅をしていなから、こういう特定の料理に向けた調理器具を買うことだってできる。けれどこれを買ったら絶対にたこ焼きのホームパーティをしてみたくなってしまう。だからまだ買えないでいる。そのたこ焼き器はガスボンベを装着するタイプで、たこ焼きしか焼けないけれど強い火力で焼くそれは大層美味しいそうだ。家でたこ焼きを焼くのはおそらく一年で数回しかないかもしれないけれど、それがあれば家の近くに美味しいたこ焼き屋さんがなくても「なんとなく食べたいな」と思ったときにすぐに焼くことができるのがなんとも魅力的だ。たこ焼きになることになった知能を持つ理知的なタコは、自分の最期に何を思うのだろう。せめてカルパッチョとか、もう少し生身を味わってくれるタコになりたかったと思うのだろうか。それは人間のもつ傲慢さ故の妄想だが、もし私がタコなら最後にくるくると丸められてたこ焼きになるのは悪くない最期だと思える。たこ焼きが食べたい。さもなくばイカ焼きでもいい。イカとタコならば断然タコがいいけれど、イカもなかなかに捨てがたい海鮮だ。タコに理性があるならば、間違いなくイカも理性的な海洋生物であるはずだ。アンコウの提灯にだって感情を司る部分が宿っているかもしれない。彼らは人間よりずっと長い間海にいるし、知らないことをたくさん知っているはずだ。なんだか食べるのが申し訳なくなってきたけれど、私は夏にあんこう鍋を食べるのも大好きだ。あんこう鍋は関東が中心らしく、関西ではなかなかあんこう鍋を食べられる店がヒットしない。調べるとあんこうは特に茨城県の大洗のものが発祥らしい。あんこう鍋は一人では食べられない(食べられるけれど捌ける人がいないとできない)ので、夏には同じ味覚の人たちを集わせてあんこう鍋を食べに行きたい。さらに調べたら、旬は11月〜3月らしい。完全に今じゃない、今じゃないけれど食べたいあんこう鍋。

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